【聖堂朝礼】ステンドグラスの聖ドミニコのお話③

7枚目の絵の左側には、眠っている教皇の姿が見えます。教皇は、ある夜とても不思議な夢を見ました。それは、今にも倒れそうな教会をある男の人が支えている夢です。その人が聖ドミニコです。

 その当時、信者を教え導くことができる説教者が少なかったために、ドミニコは、自分の仲間たちに神学を勉強させ、そして正しい行いと貧しい生活をおくらせました。やがて、その人たちが育ち十分な説教ができる仲間のグループを作り、それを「説教者会」と名づけました。

 ドミニコは「説教者会」を教皇に認めてもらおうとしましたが、ラテラノ公会議で新しい修道会をつくることは禁止されてしまいました。実はそのころ、いろいろな、たくさんの修道会が生まれていましたが、中には強盗まがいのことをする集団も出てきて困っていたからでした。

ラテラノ公会議とはローマのラテラノ大聖堂で行われるカトリック教会の代表者が集まって行う会議です。

 

 

8枚目の絵は聖ペトロと聖パウロ

1216年、ドミニコが「説教者会」のグループを認めてもらう結果を待つために、ローマの聖ペテロ大聖堂で祈っていました。そこに教会の象徴、シンボルであるペテロとパウロが現れました。ペテロはイエス様の12人の弟子の一人、6年生は宗教の授業で勉強しましたね。パウロは新約聖書を書いた一人です。お二人はもうすでに亡くなっていますからとても不思議な出来事ですね。

ドミニコの前にあらわれた二人のうち、ペテロは杖を、パウロは聖書をドミニコに手渡して次のように言いました。

「出かけて行って人々に神さまの御言葉を届けなさい。 神様はあなたをこの仕事をさせるために選ばれたのだから」

その時、ドミニコは兄弟たちが二人一組になって神の御言葉を告げるために世界中に散って行くのを見ました。

 

第9章 派遣

9枚目の絵はドミニコが兄弟たちに祝福をしている場面です。

1216年12月22日、ドミニコは待ち焦がれていたの修道会の認可書を教皇からもらうことができました。新しい教皇ホノリウス三世が選ばれました。新しい教皇はとてもドミニコの提案である「キリストに従い、イエス様の良い教えを伝えることによって、人々の偽りと過ちを正しくする」ことをすばらしい方法だと考えました。

ドミニコの仲間は日ごとに増えていきました。次の年には16人の兄弟たちがいました。

トゥルーズに帰ったドミニコはみんなを集めてこんな言葉を伝えました。

「麦の種を山積みしたままにしておくと腐るだけですが、それがまかれると多くの実を結びます」どんな意味か分かりますか。

兄弟たちはすぐにその意味を理解して、スペインやパリなどに旅立ち、ドミニコは一人のきょうだいと一緒にイタリアへ向かいました。聖ペトロ大聖堂で見たように、二人一組になって、托鉢(信者から最低限の食べ物をもらうこと)をしながら説教をしました。

 

このようにドミニコは、兄弟たちを修道者として育て、必要なものだけを持つ暮らし、毎日を托鉢を知らながら、神様の教えを人々に説いていました。その教えは、神様の愛や慈しみ、そして私たち人間はこの世に祝福されて生まれ、誰もがかけがえのない存在だということです。ドミニコはまさにイエス様の生き方をそのまま貫かれた人でした。

今日のステンドグラスのお話はここまでです。

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