【聖堂朝礼】最も小さい者

 419日に教員室の南側の窓から、黒い大きな煙が立ち上るのが見えました。皆さんの中にも気がついて、その煙を見ていた人がいると思います。真っ黒な煙がどんどんあがるのを見て、とても大きな火事だということが分かりました。黒い煙は形を変え、うねりながら登っていきました。まるで巨大な生き物のように見えて、とても恐ろしいと感じました。それと同時に、この火事で「けがをした人はいないかな」、「うちが燃えてしまった人はとても悲しんでいるだろうな」と心配になりました。その日のニュースで、川崎市の工場で起こった火事だということが分かりました。幸いにもけがをした人がいないようなので、少し安心しました。けれども燃えてしまった工場の方やご家族の方は、今も悲しい思いをされていると思います。「もしも自分の家が火事だったら」「もしも自分の家族が火事に巻き込まれていたら」と想像すると、怖い気持ちや不安な気持ちが胸に湧き上がってきますね。だから火事や事故の現場を見たとき、「被害にあわれた方が、どうか無事でありますように」と祈らずにはいられません。何か事故が起きたとき、人の姿は見えないかもしれませんが、そこには、必ず人がいます。だれかが怖い思いをし、悲しい気持ちになっています。困っている人、苦しんでいる人がいるのです。私は、皆さんが、そのことを想像できる人になってほしいと思っています。

 聖書にこんなお話があります。

 『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 (マタイによる福音書2534-40

 ここに出てくる王はイエス様ですね。どんなことをした人たちが神の国に行けるのかを教えてくださっています。この人たちは、飢えている人、のどが渇いている人、泊まる所がない旅人、裸の人、病気の人、罪を犯した人に手を差し伸べた人です。苦しみ、困っている人たちをかわいそうに思い、助けてあげたこと、手を差し伸べることは、神様にしたことと同じこととイエス様は教えてくださっています。前回お話しした「隣人を自分のように愛しなさい。」とイエス様がおっしゃった通り、皆さんの前で、お友達が困っていたり、苦しんでいたりするときは、どんな人にも親身になってあげて、手を差し伸べてください。きっと神さまがご自分にしてくれたことと同じようにお喜びくださいます。たとえ、お友達が「苦しい」とか「困った」と言葉で言わなかったとしても、それが目に見えなくても、心の目で見て、気づいてあげましょう。

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