本物に倣う

 まだまだ寒さの厳しい毎日、乾燥しきった東京も昨日今日は雨や雪に恵まれ、まもなく立春を迎えます。

 月に一度発行されている校報「春秋」は今号で555号となりました。保護者の皆様を思い浮かべて認めるこの原稿を書くにあたって私はいつも、「前年同月」の原稿を読み返すようにしています。同じ季節には図らずも話題が似通ってしまいがちだからです。

 昨年の2月号には「武漢に端を発する新型肺炎」という表現があり、ここでコロナ禍の始まりを認識しています。同月をさらに遡ると、一昨年はインフルエンザによる閉鎖、その前年は大雪による休校、さらにその前は高山右近の列福と、話題はさまざまでした。

 2では今年一年はどんな話題であったかと改めて今年度分を読み通してみると、すべての月で新型コロナウイルスが話題の中心になっていました。このウイルスはどうやら私の心に、また社会に「浸透」してしまっていることを思い知らされることになりました。

 緊急事態宣言が発出されて始まった三学期、できる限りいつも通りにと願ってはいますが、子どもたちの作品展や発表会、また授業参観や公開授業などはいつも通りにはいかず、先生方のご苦労は絶えません。学びの様子を皆様に直接にお伝えする機会もなく、まことに心苦しく思います。

 そんな中にあって、学校生活のリズムはできるだけ平常通りとなるように心がけています。聖堂朝礼も、半分の人数ではありますが一列おきに着席し、静かに祈ります。聖歌を歌うことを我慢し、祈りの言葉も声には出さずに心で祈るひとときをもっています。

 静まり返った聖堂に響き渡る、パイプオルガンの音色。それはデジタル音源の再生とは明らかに違い、体全体が包みこまれていくようです。寒さの中で空気の振動を感じ、私たちは耳だけではなく体全体で聴いていたのだと、今まで意識していなかったことに気づくきっかけとなりました。子どもたちはこうして「本物」に接し、まるごと感じ取る体験を日常的に味わってきている、それをあらためて振り返ることができました。

 聖堂正面にあるステンドグラスは、ドミニコ会の神父様によって60年前に制作されたものです。その「本物」に倣うように、子どもたちが今、ステンドグラス制作に取り組んでいることは前号でお伝えした通りです。材料や作り方は学年によって違いますが、まるごと感じ取っていた一人ひとりの感性が、一つひとつの作品として昇華していくことでしょう。中止になってしまった銀座での作品展に代わり、校舎を展示会場として全員の作品を全員で鑑賞できるまでまもなくです。

 教会の暦では、今年は2月17日の水曜日が「灰の水曜日」。人は神によって塵からつくられ、やがて塵に戻る存在であることを思い起こし、神に向かって心を向け直す日です。

主イエスが聖ヨハネから洗礼を受けた後、荒れ野で断食をして過ごした40日間をなぞるように、この「灰の水曜日」からイースターまでの40日間を「四旬節」と呼び、「祈り」「犠牲」「施し」を通して自分を振り返り、主の受難とご復活を思います。

 児童会では今年、四旬節が始まるこの日を「おにぎり献金」の日としました。断食ではありませんが、犠牲を通して施しにつながる、祈りの具体的な表れであり、その思いは「本物」です。ご家庭の皆様にもお力添えをいただければ幸いです。

 今、私たち大人が子どもたちに倣うなら、日々「本物」と出会っている喜びを心から感謝して、主イエスの思いをまるごと感じ取り、世の痛みをともに担うことを厭わずに生きる姿勢を持つことではないか、と感じています。

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