感謝の心で連帯を

 新年あけましておめでとうございます。すっかり葉を落とした欅を見上げると、枝の隙間から穏やかな青空が見えて、大雪に苦しむ地方の方々には申し訳なく思いますが、やはり新年の訪れをありがたく嬉しく思います。

 同時に、新型コロナウイルスの勢いが早く穏やかに収まるようにと強く願います。大みそかに東京の一日の感染者数が1300人を超え、一週間後の7日には2400人を超えました。ヨーロッパでは都市封鎖や学校の休校措置が取られている地域が出始めるなど、心が痛むばかりです。

 1都3県で緊急事態宣言がいよいよ出されましたが、誰でも感染する可能性がある今の現実をきちんと受け止め、私たち一人ひとりが誰かを感染させないように心がけることがまず肝要です。先の見通せない時ほど原点を思い起こし、基本を大切にしたいものです。学校でも指導を続けますが、ご家庭でも手洗いや消毒、マスクの着用などご家族で確認し合っていただければ幸いです。

 2学期終業式の前日に東京都から知らせがありました。医療従事者の皆様にお手紙を書いたらお届けします、というものです。ただし締め切りがとても早いので、子どもたちにとってはゆっくり考える間はありません。先生方が朝礼で呼びかけたところ、自由参加でしたが実に200通以上が集まりました。

 「自分たちも危険な中、私たちのために働いてくださりありがとうございます。少しでも体を休めてください」「皆様が日々戦ってくださっているから私たちは感染せずに学校に通学できています」「父が勤めている病院はまだ感染者がいませんが、いつも疲れて寝ている父の姿を見て、感染した患者さんがいるともっと大変なんだろうなと感じます」と感謝と労いの言葉が綴られたもの、また「自分のことは自分で守るので、皆様も頑張ってください」「私たちもできる範囲で最善を尽くします」「私は将来看護師になろうと思っていたけど、ちょっと甘えていました。もっと勉強をしないと、と思いました」と自分の思いに寄せて、自分事として受け止め綴られたものがありました。一つひとつに祈りが込められています。この気持ちがあれば恐らく、自分の身近なところで感染された方やそのご家族に出会っても、子どもたちの眼差しは慈しみにあふれていることでしょう。子どもたちの柔らかさと温かさに、また一つ光を見出しました。その日の下校までに書かれたものをまとめて、翌日都庁宛に郵送しました。

 カトリック教会では、1月1日は「神の母聖マリア」の祭日です。半世紀ほど前、時の教皇パウロ六世がこの日を「世界平和の日」と定め、特に世界平和のために祈るようにと呼びかけられました。当時は大きな戦争のあった時代。世界情勢は今とは違っていますからそのままなぞるものではありませんが、年の初めに平和について心を向ける大切なきっかけとなります。

 平和は、強者による無思慮な支配では得られません。そして、平和は待っていても訪れません。力ある者が弱き者に寄り添い、手を差し伸べてこそ築かれるもの。意思を持って「あなた」のために「私」を差し出す心によってつくられるもの。「平和の君」である主イエスのご降誕は、大いなる存在が貧しいおとめに目を留め、手を差し伸べた証です。

 コロナ禍にある今まさに、医療従事者をはじめ多くの関係者が、無私の心で自らの命を削るほどの働きをもって、平和な日々の訪れに道を拓いてくださっています。その恵みに気づいているなら、私たちも連帯してできることがそれぞれにあるはずです。

 この先、どれほどの時間が必要かわかりませんが、関係者への感謝と労いとともに、そのご努力に連帯して現実を自分事として受け止める大切さに子どもたちはすでに気づき、伝えてくれました。今年はじめの穏やかな青空のような平和が訪れるよう、子どもたちを光に、確かな歩みを始めたいと思います。

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