【聖堂朝礼】診療所よりも用水路を 12月3日

 12月になりました。この間の日曜日から「待降節」に入りました。聖堂にも馬小屋が準備されていますね。今週の聖歌「しずけき」を皆さんがフランス語や英語で歌っているのを聞くと、もうすぐクリスマスなんだな、と思います。

 

 クリスマスプレゼントは、もう考えましたか? 誰に、どんなものをあげようかな。それを考えている時間、なんだか心があったかくなりますね。あげる相手が喜んでくれる姿を思う時間は、自分にもうれしい時間が過ぎていきます。その人が喜んでくれるように、笑顔になれるように、考えて考えて、心を込めて準備できたらいいですね。

 

 さて、1年前の今頃、悲しいニュースが世界中に流れました。2019年12月4日、中村哲さんが仕事に行く道で銃で撃たれて大けがをして、病院に着く前に亡くなりました。

 中村さんは福岡出身のお医者様です。日本の病院にお勤めした後、パキスタンやアフガニスタンに行って、現地の人のために働きました。このあたりは戦争や紛争が多くて危ない地域ですが、そこに暮らす人たちのために、中村さんは働きました。

 村の人たちを診療しているときに、中村さんは考えていました。村の人の病気のもとにつながっているのは、まず食料が不足していること、そのために栄養が足りないこと、でも農地が砂漠になってしまって作物が取れないから食料を作れないこと…

 今ここに必要なのは、たくさんの診療所ではなくて、砂漠を農地にすること、そのためには遠くの川から水を引き込むこと。ここには用水路が必要だ。そう考えた中村さんは2003年、自分から用水路づくりに取り組み始めました。お医者さんですから、工事の専門家ではありません。自分で勉強して、できる方法を考えました。そして、一人ではできませんから、村の人たちと一緒に少しずつ水路を掘りました。クナール川からガンベリー砂漠まで、25㎞以上の用水路を作って、あたり一帯は砂漠から緑地に変わっていきました。作物が取れるようになり、病気になる人が少なくなって、村の人たちに喜ばれました。

 中村さんは、自分がいなくても村の人たちで作れるように、やり方を教える学校を作ることも手がけました。中村さんはキリスト教の方ですが、村はイスラム教の人ばかりでしたから、頼まれてモスク(お祈りをする場所)も作りました。地味だけれど大切な働きをしたので、アフガニスタンの国じゅうに知られるようになりました。

 

 そこに生きる人が喜んでくれるように、笑顔になれるように、考えて考えて、心を込めて、中村さんは15年以上、この「プレゼント」を送り続けました。

 はじめはお医者様としてアフガニスタンに入りましたが、そこに生きる人を見て、触れて、感じたことの中で、一番大事なことに中村さんは気がつきました。食べられるようになって命が安全に守られること、力を合わせることで平和な暮らしを作ること。そのために、診療所の外に出て、村の人たちと力を合わせた中村さんは世界中に知られるようになりました。中村さんが亡くなった後も、村の人たちはこの活動を続けています。

 中村さんのプレゼントは日本の私たちにも届いています。平和は戦争に勝つことで手に入れるのではなくて、力を合わせて良い土地を耕し、できた作物を皆で分け合うことから始まるということを教えてくれています。

 さて、私たちは誰に、どんなプレゼントができるでしょうか。待降節の今、考えてみましょう。

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