【聖堂朝礼】1年の締めくくりに 11月26日

 先週はおにぎり献金に協力してくれて、どうもありがとう。おかげさまで、たくさん集まりました。皆さんの心を、今困っている方々に確かに役立ててもらえるようにしますね。

 そして、中庭の落ち葉を黙って掃除してくれている皆さん、どうもありがとう。最後の下校バスが出た後に中庭を見ると、この頃きれいになっています。いつも感心しています。

 さて、いよいよ11月も終わりで、来週は12月に入ります。1年が経つのは早いですね。普通のカレンダーでは12月が最後で、1月が年の初めです。でも教会の暦では、今週が1年で最後の週、そして次の日曜日が1年の始まりになります。クリスマス=イエスさまがお生まれになる日=を待つために心の準備をする時期、「待降節」が始まる次の日曜日が、教会の暦での1年の始まりです。少し早いと感じるかもしれませんが、今年を振り返ってみる良い機会です。毎日を大切に過ごせたか、お友達と仲良くできたか、ご家族のために自分の力を使うことができたか、そしてお祈りを大切にしてきたか、一人ひとり振り返ってみてください。

 今、私たちには見えないイエスさまは、やがて私たちのところにいらっしゃいます。その日がいつなのかは誰もわかりません。だから、いつ来てくださってもいいように、心を整えておきましょう。

 十字架にかけられる少し前、イエスさまは、天の国に招かれる人と招かれない人について、こんなふうに話されました。マタイによる福音書には、このように書かれています。

 

 人の子が栄光に包まれ、天使を従えて来るとき、人の子は栄光の王座につき、すべての民族はその前に集められる。そして人の子は、牧舎が羊と山羊とを分けるように、彼らを二つに分け、羊を右に、山羊を左に置く。そのとき王は、自分の右側の者に言う。

 「わたしの父に祝福された人たち、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢屋にいたときに訪ねてくれたからである」

そのとき、正しい人たちは答えるであろう。

 「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べさせ、渇いておられるのを見て飲ませましたか。いつあなたが病気であり、牢屋におられるのを見て、あなたを訪ねてあげましたか」

すると王は答えて、

 「あなたがたによく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の一人にしたのは、私にしたのである」

 

 そして、左側にいる人にはその反対を話されて、「あなたがたによく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の一人にしなかったのは、私にしなかったのである」とおっしゃいました。

 

 目の前にいる人がイエスさまだから、王様だから良いことをする、というのではなくて、目の前で困っている人、つらい思いをしている人に何かをしてあげることができたら、それはイエスさまにしてあげたことなのだ、とおっしゃいました。そして、悪いことをした人が左側に分けられたのではなくて、困っている誰かに「何もしてあげなかった人」が左側に分けられることをイエスさまは弟子たちにお話ししました。

 天の国に行く道筋は、イエスさまが教えてくださいました。その道を歩むのか、別の道を探すのか、それを選ぶのは私たち一人ひとりです。それを心に留めて、この1年を振り返ってみましょう。

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