繰り返し 積み重ね

 格別な暑さも含めての「特別な夏」を越え、彼岸を過ぎて街はめっきり涼しくなりました。気温の落差に戸惑いますが、子どもたちにとっては好機到来、以前にもまして外で元気よく遊ぶ姿が見られ、安心します。

 何をするにも気持ちの良い季節、行事の秋がやってきました。しかし新型ウイルスの広がりが収束していない今、さまざまな行事が中止か延期、または縮小を余儀なくされています。子どもたちには可哀そうなことですが、もうしばらくは辛抱してもらわなければならないようです。

 6年生による「八木節」の学年合奏もその一つです。例年は下級生が5学年揃って鑑賞する機会がありました。最高学年の演奏を毎年見ることは、自分もいつか舞台に立って披露する、という希望につながります。しかし今年は密を避けるために、音楽室でのクラス演奏をオンラインで各教室に届けるという試みをしました。学内にいながらのオンライン鑑賞にはもどかしさも感じてしまいますが、こうした工夫が「新しい生活」につながっていくのは確かです。

 25日、朝礼の時間帯に6年B組の演奏を他の11クラスが教室のプロジェクタやテレビ画面を通して鑑賞しました。

 和太鼓や木琴、鉄琴などは今まで通りに使えますが、歌声の代わりとなるリコーダーがコロナ禍においては使えません。それでも、マイクを通しての掛け声などを組み合わせて、「新しい八木節」に6年生は挑戦しました。

 定刻数分前、各教室のモニターには緊張の面持ちで静かに待つ6年生の姿が映ります。

「昨日の練習で充分うまくいっているから、今日も大丈夫!」と担任が励ませば。音楽科の先生が「4月、5月と頑張ってきたよね。その思いを込めるんだよ」と続けます。

 どれほど練習を重ねても慢心せずに練習を繰り返していた子どもたちの努力を、担任は見守り続けてきました。そして、授業での感染防止に一番気を遣ってきた音楽の先生は、休校期間でも努力を続けた子どもたちの思いをしっかりと感じ取っていました。

 配信担当の先生の合図で本番開始。テレビ番組ではないのでアナウンサーも解説者もいません。代表の児童が挨拶をして持ち場に着きます。力強い和太鼓が響きわたり、それに負けないソロの歌声がスピーカーに流れ始めました。十数名が代わる代わるマイクの前に立って威勢の良い掛け声をかけ、すべての楽器に最後までエネルギーを送り続けました。

 演奏が終わり、身を引き締める6年生の姿は、繰り返し繰り返し練習を重ねてきた実りを、静かに味わっているように見えました。一階でPC鑑賞をしていた私の耳にも、窓越しに拍手が聞こえてきます。それが届いていたのか、少し遅れて音楽室の六年生にも安堵の拍手が広がり始めました。

 この校報が発行される今日がA組の演奏日です。こちらもA組らしく力を発揮してくれることでしょう。

 物事が実るか実らないかは、時を経て分かります。実りを得られそうにない、と決めつけて何もしなければ、そこで止まります。実りを心から望んで積み重ねる日々こそ、次を歩む力の源泉になります。6年生はすでに切り替えて、披露する可能性がまだ何も見えていない「ハレルヤコーラス」の準備に取り掛かっています。決めつけず、今できることに向き合っていく。子どもたちのこうした毎日をともに歩むことができる私たちは幸せです。

 聖ドミニコは、実りを得られるか否かをはかるよりも先に相手の声を聞き、相手のために繰り返し祈りました。そこに現れた聖母マリアがドミニコに授けたロザリオは「アヴェマリアの祈り」を繰り返し唱えるのに用いられ、ドミニコ会士によって世界に広まっていき、今に至ります。

 10月7日はロザリオの聖母の記念日。私たちも繰り返し祈ります。実りのあるなしに関わらず、寄り添ってくださる聖母に倣って。

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