心待ちに

 すっきりとした青空が広がった11月最後の週。しかし、空気が乾燥しているからでしょうか、同時にインフルエンザも広がってしまいました。週末も教員室直通の電話には次々とインフルエンザ感染の連絡が録音され、結果的に週明けには低学年のうち3クラスが学級閉鎖となりました。

 「席が近くの子ですね」「グループ活動で同じ班の子どもたちです」「この子は毎朝、低学年バスをお世話していますから」…先生方は1人ひとりの顔を思い浮かべながら、子どもたちの元気な登校を心待ちにしていました。

 6年生は1年教室の掃除を担当していますが、担任の先生に「今日は、掃除は要りませんよ」と伝えられると、「ほかに何かお手伝いはありませんか?」と返してくれました。その温かな心遣いの中に、1年生の登校を心待ちにしている姿が垣間見えました。

 さて、次の日曜日、12月3日から待降節が始まります。街にはクリスマスツリーが飾られ、百貨店でもコンビニでも、すでにクリスマス商戦なるものが始まっています。救い主のご降誕という大きな喜びを待つ「お祭り」が、それぞれの国に合わせて、明るく華やかな形で広まりましたが、本来は「聖なる静かな夜」を待つ季節です。

 

 神は、その独り子をお与えになったほど、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。    (ヨハネ3章16~)

 

 2000年前のベツレヘム。星降るほどの暗く静かな夜に、貧しい厩でイエスさまはお生まれになりました。その夜、虐げられ、貧しい暮らしを余儀なくされていた羊飼いたちの上に天使が現れ、ご降誕が真っ先に知らされました。裁くためではなく、救いのために遣わされた独り子。いつの日か神さまの救いの手に包まれることを心待ちにしていた羊飼いたちは、幼な子の姿を通して、その神の御業に大いなる光を見出したことでしょう。

 現代を生きる私たちも、クリスマスを心待ちにします。その思いは、羊飼いたちと同じではありません。けれども、戦災・人災・天災で不本意な暮らしを余儀なくされ、温かな救いの手を心待ちにしている人々が確かにいることを、私たちは知っています。

 神さまは私たちを待ってくださっています。ご自分の似姿として造られた私たちが、平和のうちに生きるよう、互いに愛し合うように、私たちの返事を心待ちにしていらっしゃいます。

 どんな返事をしましょうか。どんなプレゼントを贈りましょう。待降節を迎える今、子どもたちは霊的花束を通して、静かに祈り始めます。

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