一歩一歩が500歩に

「ほら、できたよ」 (東京私立小学校児童作品展)が松屋銀座で開催されています。ドミニコは毎年全員参加を続けていますが、同じテーマで同じ素材を用いた作品群に子どもたちの一歩一歩が凝縮され、それぞれ率直な「子どもの世界」が展開されています。子どもたちの伸びやかさと未来への可能性が感じられ、心が温まります。

さて、学校通信として毎月発行している「春秋」が今号で第五〇〇号となりました。発行当初は日付も名称もなく、ナンバリングもなされていません。ですから、実際にはさらに数多く発行されていますが、学校の「その時」を伝える歩みは一歩一歩進められ、大きな節目を迎えました。

たった5人の1年生を迎えて始まった小学校。目黒区駒場での開校時にはこうした媒体は必要とされなかったのでしょう。今の世田谷の地に移転してしばらくしてから、この「春秋」は発行されています。

教員室のロッカーにある春秋ファイルを紐解いてみました。B4版横長に縦書きという体裁は今と同じ。しかし、4ミリ方眼の蝋原紙をやすり板に乗せ、鉄筆で蝋を削って作成した手書きの原版をスクリーンに貼りつけて一枚一枚ローラーで黒インクをわら半紙に染みこませるという、途方もない作業を丁寧にこなしていた当時の先生方のご苦労が偲ばれます。

1972年7月号(第8号)には、

保護者各位におねがい

「聖ドミニコ学園小学校通信」「校報聖ドミニコ」とこのお知らせの名前が変わっていますが、ほかに良い名前がありましたらお考えください。

という呼びかけがあり、第九号より「春秋」という名前になりました。当時の小学校主任 金古芳夫先生の命名と聞いています。時代が進み、謄写ファクシミリが導入されて鉛筆原稿が可能になり、第132号から和文タイプ原稿と手書きの混在、第139号からはワープロが導入され、現在とほぼ同じ形態になっています。

当初は学年通信も献立表も保健便りもない時代、学内唯一の媒体として生活指導上の留意点からスクールバス運行情報まで、あらゆる情報を網羅していました。メール方のお名前の由来などのコラムもありました。今読むとその紙面構成は実に新鮮で豊かさにあふれています。

時代とともに変化・進化をしてきた「春秋」。しかし変わらないのは、神様がどこまでも人を愛してくださっていること、愛し愛される子どもたちとともに歩む喜び、その子どもたちのために大人が心がけるべきこと、などのメッセージがあることです。

子どもたちに負けずに大人も「ほらできたよ」と声に出せるような、良いモデルとしての一歩一歩を丁寧に積み重ね、ともに歩み続けたいと思います。

一覧に戻る
PAGETOP