聖人列伝 -ドミニコ会の聖人・福者のご紹介-

大聖アルベルトゥス・マグヌス

大聖アルベルトゥス・マグヌス

 ドミニコ会が中世の精神生活に対して大いに貢献し、前面に出て光を放ったのはアルベルトゥスによってである。彼によって中世に大きな革新がもたらされた。すなわちアリストテレス哲学のあらゆる部分をラテン人に理解出来るものにしてアリストテレス哲学とキリスト教神学との融合を成し遂げ、のちに聖トマス・アクイナスがスコラ哲学を完成する道を開いたのであった。十三世紀、ヨーロッパはサラセン人や十字軍により、ギリシャやアラビアの優れた科学の知識や思想に接し、哲学や自然科学の全般にわたる新知識は、当時、修道会の教授たちによる大学の興隆,都市文化の発達に伴って、いち早く摂取普及されたが、教会側はアリストテレスや新プラトン学派のいくつかの説と当時の教理が一致しないことからアリストテレスの教えを排斥しようとした。しかし進歩的な少数派の学者たちは新知識の価値がすばらしいことを知り、時代を見極め、これを修正解釈することによって、キリスト教思想の中へ導入し自然と神との調和をはかってキリスト教を進展させたが、アルベルトゥスはその先駆者の一人であった。アルベルトゥスは南ドイツに1193年に生まれ青年時代にイタリアのパドアに留学し医学、自然科学、文学を学んだ。彼が在学中、前年に創立されたドミニコ会の第二代総長ヨルダン師の講演、ことにキリスト教真理と教授によって世界を改造する、と言う理想に共鳴し、同会への入会希望に燃え、ヨルダン師に会って入会の確信を得て彼に信頼し家族の反対を押し切って1223年三十歳でケルンのドミニコ会に入会した。

 司祭になってから若い修道士たちに哲学と神学を二十年近く教えたが、その間ギリシャやアラビアの数学、物理、哲学から教父ことに聖アウグスチヌスの神学、聖書解釈等、中世の学問すべてを網羅した包括的な知識を獲得したので、アルベルトゥスは普遍的博士、全科博士と呼ばれた。その後三年間パリ大学で哲学、神学を講義したが、その深遠な学識は忽ち学生の人気を呼び聖トマス・アクイナスのような優秀な学生をひきつけた。聖トマスは三年間アルベルトゥスの許で学んだ。アルベルトゥスは三年後ケルンに戻って大学の講座を担当したがパリ大学の学生たちは彼を慕ってケルン大学に移った者もいたと言う。

 アルベルトゥスは信仰は道理に合わなくてはならない。と言う信念のもとにアリストテレスの論理、自然科学、形而上学の知識を伝統的な神学の中に取り入れ思考資料を豊富に揃えた。これらによって聖トマスは、理性と信仰を調和させた偉大な神学体系を打ち出すことが出来たという。アルベルトゥスは学問研究の外にご聖体と聖母マリアを厚く信心し、貧民の救済につとめ、ケルン市民と大司教間の争いを調停したりした。ドミニコ会ドイツ管区長、教皇付顧問、次いで司教になり、化学、哲学、神学の著述などに尽くし信仰、知識生活の調和統一を最高度に大成し1280年八十歳で安らかに永眠した。

文/小学校教諭 平賀房江