《教室寸景》(中高・教科横断)「キリスト教」と学問
12月18日(木)午後、5時間目から7時間目にかけて、教科横断的な授業を行いました。
今年度、本校では東京都私学財団の研究助成を受けて2つの研究を進めておりますが、本授業実践はこのうち「考えるための技法の育成を目的としたSTEAM教育の基盤となる教科横断的な学習に関する研究」に関するものです。
7月に中学3年生を対象として実施した実践と同様、授業は教員有志によるオムニバス形式で構成しました。2回目の取り組みとなる今回は、来春卒業予定の高校3年生も参加することを踏まえ、「キリスト教」というテーマに基づいて授業を行いました。また今回は、校長先生も教員有志としてご参加くださいました。
第1回の授業の反省点を生かし、生徒同士の協働的な働きや、他者の意見と自分の意見を対比したりすることを重視して授業を設計しました。そして西亀先生(国語科)が、生徒の考えを引き出す「対話」を意識しつつ、司会・進行を担当しました。
はじめに土居先生(社会科・倫理)から、「宗教と科学は両立しうるか?」という問題提起を行いました。そして科学史の視点から宗教と科学は必ずしも対立するものではないことを述べ、Newton, Philosophiæ Naturalis Principia Mathematicaや科学史の概説書に触れつつ、自分自身の考え方を再検討してもらいました。そのうえで、宗教と科学の両立について、意見交換を行いました。本校の教育理念である「真理の探究」に通ずる内容でもありました。
そして中川(理科・生物)は、聖書に登場する植物(ブドウ、イチジクなど)や動物(羊、魚など)について生態学的・地理的分類と、その文化的意義について講義を行いました。これらの例を踏まえつつ、どのような疑問が生まれたのかを生徒のみなさんで話し合いました。ガリラヤ湖の位置付けや、そこに住む魚は何か、それは今日の生態系とどのようにつながっているか、といった点について理解を深めることで、聖書にみられる語句をより深く知ることができたように思います。
髙橋校長(宗教)は、神の似姿として作られた人間には真理を探究する本質的な力が備わっていること、キリスト教教育の核心である「他者のために生きる」という価値観について話してもらいました。そして中世のスコラ哲学を引き合いに出し、議論を通じて理論を構築していく過程の重要性について、再度注目しました。その後、生徒からの疑問に直接答える対話形式で授業を進めました。
最後に川畑先生(英語)は、言語学とキリスト教という視点から、言葉の意味の変化について話題提供をしました。そして"Bless you"(本校の生徒たちは、あまり意識はしていないものの日常的に使っています)や"Oh my God"など、もともと宗教的な深い意味を持っていた表現が日常的なマナーやスラングとして一般化していることを「意味の漂白」として捉え、紹介しました。最後に「初めに言〔ことば〕があった」(『新約聖書』ヨハネによる福音書1章1節)という聖書の一節や、東洋における言霊の概念などにも触れました。生徒の皆さんは、言葉が持つ本来的な重要性について、改めて注目している様子でした。
授業の終わりには、生徒・教員含めての振り返りを実施し、授業において感じたことや考えたこと、授業を通じて伝えたいメッセージなどを共有しました。教える教員と教わる生徒という枠組みを取り払い、ともに学び、考えるという興味深い時間となりました。
参加した生徒の皆さんからは、「普段受ける宗教の授業とは異なり、他の科目の視点から見てみることで、いつもの授業では気づかないようなことに気づくことができた」「詰め込まずに、先生方のお話をじっくり伺うことで、自分の考えの変化や、気づきを感じながら3時間を過ごすことができました。3時間がとてもあっという間でした。 また宗教の理解が、宗教を学ぶだけでなく、教科横断的な学びをすることで深まったと思います。まさにリベラルアーツの凄みを体験しました」などの感想が述べられました。
ひとつのテーマを深く掘り下げることで、他の分野への理解も広がると考えております。このような教科横断型の学びを、今後も実践を通して研究していく所存です。
(理科・中川)