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《教室寸景》(高3・総合的な探究)社会課題探究

 高校3年生の「総合的な探究の時間」では、2学期に「社会課題探究」に取り組みました。

 「社会課題探究」は、現代社会におけるアクチュアルな問題について、課題文をもとにしながら議論するというものです。昨年度の高校3年生から取り組みを始めました。

 高校3年次の「総合的な探究の時間」の運営は、とても難しいものです。本来であれば十分な時間をとり、自ら課題を設定して探究を進めていくことが望ましいところではありますが、進学準備などを進めつつ、情報の収集や整理・分析に時間を割くのは、高校3年生にとってはかなり厳しいものがあります。

 進学準備ばかりが学校の本務ではないと思いつつも、「この時期は探究ではなくて受験のための自習時間にしてもらえないか」という生徒の皆さんの本音に触れると、理想ばかりでは前に進まないということを痛感させられます。この点は他の多くの学校も直面していることではないかと思います。

 ただしそうしたなかであっても(あるいは、そうしたなかであるからこそ)、本校の特性や、何より学校という場でしかできないことに改めて注目し、それを踏まえた取り組みができるのではないか、と考えています。「社会課題探究」は、その試みのひとつです。

  授業は、教員が用意した課題文を読んだのち、4〜6人のグループで意見を述べ、最後にグループごとの意見を全体で共有するというきわめてシンプルなものです。とはいえ、「学年全体での共有」という点は、小規模校という本校の環境だからこそできることではないかと考えています。

 今年度は、「悪魔ちゃん」事件、平和学習の限界、「法律は人を幸せにするか」(尊属殺重罰規定判例を考える)、「多様性をめぐって」、「寛容と不寛容」、選択的夫婦別姓、などのトピックを取り上げました(下の写真は、「寛容と不寛容」に関するコメントを授業後にまとめたもの)。

 

 教科学習や探究活動を通じて築き上げてきた高校での学びを仕上げる今だからこそ、こうした難しい議論について新しい発見をすることもできるように思います。そして表面的な議論に終始するのではなく、アクチュアルな感覚に根ざして見解を述べることは、何より経験を重ねていくなかで培われ、磨かれていく力であると考えています。

 この試みは、高3における総合探究の「唯一」の正解というわけではないでしょう。進学準備という現実を直視しつつも、高校3年生の今しかできないことは何か、今後も試行錯誤を重ねる所存です。

(総合的な学習・探究の時間担当者)