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《教室寸景》(高2・日本史探究)「木簡」の一生を考える

 日本史探究では、「諸資料から我が国の歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能」を養うことが目標として掲げられています(学習指導要領による)。高校2年生の1学期に学習する原始・古代については、編纂史料や文献史料にとどまらず、鉄剣に代表される金石文や、今回注目した木簡など、さまざまな史料から、時代の特色を捉えることを重視しています。

 木簡は文字通り木の札に墨書などが施されたもので、情報伝達の手段として多く用いられました。藤原宮跡や平城宮跡などで発見されており、当時の様子を知るために欠かせない「生」の資料として重要な価値をもっています。『日本書紀』の「改新の詔」にみえる行政組織の「郡」が実際には「評」という字であったことなどが、木簡を通じて明らかになっていることなどは、教科書に見られる木簡に関する記述としてよく知られているところです。

 授業では、租庸調を中心とする律令税制について、賦役令などの条文(プリントにて配布)にふれながら整理しました。その後で、実際にそうした規定がどのように運用されていたのかという問いを立てたうえで、いくつかの木簡を検討しました。

 木簡の質感や大きさなどを味わってもらうべく、平城宮出土木簡が本物そっくりにプリントされた手ぬぐいを机の上に広げ、それを囲みながら授業を進めました。この手ぬぐいは、授業者が以前に奈良を訪れた折に購入したものです。

 木簡に記された物品のなかには、律令の条文にも見えるものがありました。また条文には「雑魚楚割」とのみ見えているものが、実際には「佐米(サメ)楚割」などと具体的な魚の名とともに記されているものもありました。手ぬぐいにプリントされた木簡や、紙で配布した木簡の釈文などを参照しつつ、教科書の行間を埋めていきました。制度だけでは見えてこない側面を、木簡を通じていきいきと捉えることができたように思います。

 授業の最後には、「平城宮で発見された木簡は、どこで作られ、どのように平城宮まで来たのか」という問いを立てて、各自に検討してもらいました。この点を深めていくことによって、奈良時代の税制のみならず、在地社会の様子や、運脚といった仕組みを有機的に繋げて生徒たちが理解できると考えています。