《教室寸景》(高2・日本史探究)「コリャード『懺悔録』を読む」
日本史探究において近世を扱う際には、その導入として「アジア各地やヨーロッパ諸国との交流の影響などに着目して、中世から近世の国家・社会の変容を多面的・多角的に考察し、表現すること」が学習指導要領において定められています。
とくに近世においてはヨーロッパの国々が日本に接近するようになった点に注目できるでしょう。なかでもキリスト教の伝来の意義はきわめて大きいように思います(本校がカトリックの学校であるということも、授業者には影響しているかもしれません)。
そこで、ヨーロッパの人々が日本をどのように理解しようとしていたのか、という点から、上記にみえる「ヨーロッパ諸国との交流」を捉え、「中世から近世の国家・社会の変容」を考察するための視座を得ることをねらいとして、「コリャード『懺悔録』を読む」という授業を行いました。
今回はコリャード『懺悔録』とともに、当時の日本語に関する文献としてロドリゲス『日本大文典』を資料として利用しました。後者の文献は豊富な文例が収録されており、これをつうじて生徒の皆さんにはキリシタン版にさまざまな日本語が収録されていることや、その中には古典の授業などで親しまれているものも含まれているということに気づいてもらいました。
その後、上記の資料を配布し、コリャード『懺悔録』を含め、宣教師たちによる日本語研究の意図を考察してもらいました。多くの検定教科書では天草版『平家物語』が当時の日本語研究の資料として掲載されていますが、別の出版物にもふれることで、資料の位置付けをより明確にする意義もあると授業者は考えました。『懺悔録』は、その名の通り当時の告解に関する記録であり、資料として扱うには種々の理由から難しい部分も少なくありません。しかし日本語(ラテン文字での翻刻)とラテン語の対訳形式で掲載されていることや、当時の口語で記されている点などは、授業で扱う上では興味深いように思います。
そしてコリャードという人物が、本校と関わりの深いドミニコ会に属する宣教師であったということも、教材選定の際には注目しました。彼がドミニコ会に属していることは、『懺悔録』の表紙の表記からも知られるところです(この部分は、生徒たちにも調べてもらいました)。
最後に「なぜ宣教師たちは日本語の収集・分析を行ったのか」ということについて、各自の見解を述べてもらいました。キーワードとして「布教」という語を用いる生徒が多かったように思います。キリスト教を含む諸国との関わりが生じるなかで、いわゆる「鎖国」などが形成されていく、という理解にも今後繋げられると、近世の理解が深まるでしょうか。適宜振り返りつつ、授業を進めていきたいと思います。