『小さき者にしたことは』
新緑のまぶしい季節となりました。木々の若葉が風にそよぎ、子どもたちの笑顔と元気な声が校舎いっぱいに広がる5月、学校生活にも少しずつ慣れ、学びにも生活にも落ち着きが見られるようになってきました。
先日、学校に一本のお電話がありました。
電車の中で、シルバーシートに座っていた本校の児童と保護者が、ある方からお年寄りに席を譲るよう促された際、保護者は席を立ち、その方に対して不快な態度を取られたという内容でした。この出来事を受け、私たちが大切にしている「思いやりの心」について、改めて皆様と共有させていただきたいと思います。
イエス・キリストの教えには、弱い立場にある人々に心を寄せる姿勢が多く見られます。
「困っている人がいれば、誰であれ手を差し伸べなさい」と、その行動の根底には、目の前の人に対する深い愛と尊重がありました。私たちも、日々の生活の中で、他者を思いやる姿勢を大切にしています。そして、子どもたちがその姿勢を学ぶ場こそ、家庭であり、私たち大人の行動です。大人が示す優しさや思いやりが、子どもたちにとって最も大きな学びとなります。
聖書の中で、イエスは弟子たちに、「最後の審判」のたとえを次のように語っています。
そこでは、王が人々にこう言います。
「あなたがたは、飢えていたときに食べ物を、渇いていたときに飲み物を、裸のときに衣服を与えてくれた。牢にいたときには訪ねてくれた。…あなたがたは、これをわたしにしてくれたのだ。」
人々は驚いて尋ねます。「そんなこと、した覚えはありません」と。
王はこう答えます。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのだ」(マタイ25:40)
誰かの困りごとに気づき、そっと手を差し伸べること。それは決して大げさなことではありませんが、その行いは神さまの目に尊く映る、かけがえのない愛の形だと聖書は教えています。
学校では、子どもたちが日々の学びや生活の中で、互いを思いやる心を少しずつ育てています。そして、その心は、私たち大人の姿や言葉、日々のかかわりの中で育まれていくものでもあります。
これからも、ご家庭と学校が手を取り合いながら、子どもたちの内なるやさしさを大切に育てていけたらと願っております。5月のさわやかな風とともに、子どもたちの成長がますます豊かに実っていきますように。