「新年を迎えて」

新年あけましておめでとうございます。

 昨年は、今まで行うことができなかった行事を実施することができました。少しずつ本来の学校生活を取り戻していくことができ、たいへんうれしく思います。これも保護者のみなさまが学園を支えてくださり、子どもたちの学校生活を温かく見守ってくださったおかげです。また年末にはクリスマス献金にご協力いただき、ありがとうございます。皆様の心のこもった献金は世界の貧しい人や困っている方に寄付させていただきます。献金に添えられた子どもたちのメッセージには、「困っている人が幸せに暮らせますように」「ウクライナとロシアの戦争がおさまりますように」と書かれていました。現在でもまだロシアのウクライナの戦いは終わっていません。多くの人の命が失われ、町が破壊され、人々は住んでいる土地を追われています。またこの戦争で流通が止まり、世界の物価が高騰しています。それによって飢餓で苦しんでいる人たちへの供給が遅延するなど、最も弱い人たちはますます苦しめられています。やはり絶対に戦争は起こしてはいけないと改めて感じました。そして今後、戦争を起こさないために事前に解決できるような仕組みが必要だと思います。一人ひとりが世界の問題を自身のこととして捉えていくべきです。わたしたちが様々な壁を乗り越え、世界の平和が実現することを祈ります。

  さて、1224日には、学園の聖堂でクリスマスミサが行われました。学園で最後のクリスマスとなる6年生の男子は、毎年参加しています。その際、6年男子はクリスマス研修を受けています。今年は「もうひとりのはかせ」という絵本を題材にしました。それは、3人の博士の他に別の博士がいたというお話です。その博士の名前はアルタバン。救世主誕生の知らせを聞き、他の博士たちと集まる約束をします。途中、病気で倒れている人を看病したため、集合場所に遅れてしまいます。仕方なく一人でベツレヘムに向かいますが、到着した時はもうイエス様はいません。そしてイエス様を探して貧しい人、悲しんでいる人、見捨てられた人たちの中を探して、ついに33年がたちました。そこでようやく、ゴルゴタの丘で十字架にかけられるイエス様の話を聞きます。そこへ向かう道の途中で、奴隷に売られていく娘に出会い、イエス様への贈り物だった最後の宝石を渡します。その時、突然起こった地震で屋根が崩れアルタバンは倒れしまいます。そして息を引き取る直前に不思議な声を聞きます。

「あなたは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいたときに訪ねてくれた。私はイエスだよ」
 アルタバンはそれに驚いて、イエス様に聞き返します。
「私がいつそんなことをしたでしょうか。33年間あなたを探しましたが、一度もあったこともなく、お役に立ったこともありません」
「あなたによく言っておく。私の兄弟でもある最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことだ」 『もうひとりのはかせ』より ヘンリ・ヴァン・ダイク著
これは、マタイによる福音書2531節から40節にも書かれている言葉です。
 困っている、苦しんでいる隣人を自分のように愛することをイエス様は教えてくれました。そしてそれは、神様にしたことと同じなのだと、そしてそのことを神様はお喜びになっています。そして同時に、行動することの重要性を説いています。隣人に手をさしのべること、自分に何ができるのかを考えて行動してほしいと願っています。

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