コミュニケーションで伝わること

 新型コロナウイルスの感染拡大で、1月の下旬から小学校にも感染の波が押し寄せ、学校閉鎖を余儀なくされました。2月はオンライン授業でスタートし今も続いています。ご心配やご負担をおかけし、たいへん申し訳なく思っております。一刻も早い学校再開ができるように祈るばかりです。そのような中、オンラインで見られる子供たちの適応能力の高さに驚いています。マイクのミュートやアプリの切り替え、うまく画面が見えない時は一度退出して、もう一度入り直すなど大人のわたしたちよりも経験を積み、しっかり順応している姿にたくましさを感じます。このような状況でも、子供たちが画面に映る友だちを見て笑顔になったり、どこか安心した表情になったりして、少し救われた気持ちになります。
 コロナ禍での教育は学校にいても感染対策のために、どこか一方通行の教育になりがちです。しかしオンラインの環境の中でもブレイクアウトルームを使って45人でひとつのグループになり会話することは新しい方法です。いろいろな事ができない今、できることを探ること、できる環境にすることが大切です。そのためにもコミュニケーションを大切にしていきたいと考えています。コミュニケーションは会話のキャッチボールです。自分ばかりがしゃべっても、話ばかり聞いていても会話は弾みません。相手の話を聞いて、自分も答える、その逆も行われることが会話、あるいは対話でしょう。
 コミュニケーションには「言語」と「非言語」があります。「言語」は自分の考え、価値観や知識などの情報を言葉に変換することです。「非言語」は表情、声の調子や身振り手振りなどから伝わる感情や真意です。相手に伝わる感情は、ほとんどこの「非言語」から伝わっているそうです。言葉では表していない感情が伝わってしまったり誤解されたりする原因は、ここにありそうです。
 「非言語」は相手に体や視線を向け、あいづちを打ったり、表情で反応をしたりすることで、話している人が話しやすい環境になります。また話し手の本意は「非言語」である表情などから伝わります。例えば「ありがとう」と無表情や目線を合わせないで言われた時、本当は感謝していないのではと疑問を持ちます。言葉よりむしろその表情に本心を感じてしまいます。ですから疲れている時など、表情を出しにくい場合などに誤解が生じることになります。つまりコミュニケーションの場では、「言語」の部分よりも「非言語」の情報が伝わりやすいということです。対話の人である聖ドミニコもまたコミュニケーションの能力はとても高かったと想像されます。

 ドミニコは、その宿主がカタル派と知ると夜を徹して彼と語り明かす。どのように語り合ったのであろうか。ひとつだけ言えることは、ドミニコは、決して一方的にきめつけるような話し方はしなかったということである。ドミニコは、相手を打ち負かそうとしてではなく、自分が確信するところを相手に伝えようとして話す。 熱烈ではあったが、決して威嚇的ではなかった。これは、ドミニコの一貫した姿勢であった。「誤謬を正すのは、真理を説くことによってである。」彼は、宿主にその論の矛盾を示す。あい対立して二つあるようなものは神ではない・・・ドミニコの熱のこもった、心からの論は、遂に宿主の心を動かし、夜が明けそめる頃、宿主はカトリックにたちもどる。(聖ドミニコの生涯 スール・マリア・ベネディクタO.P.

  神のみことばを伝えようとした聖ドミニコの情熱や誠実さ、優しさが「言語」だけではなく「非言語」を通じて相手に伝わっていたのでしょう。それは、どれほどの熱量だったのでしょうか。わたしたち聖ドミニコ学園の教師は、聖ドミニコに倣い、子供たちに愛情を注ぎながら、熱意を持って指導してまいりたいと思います。

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