【聖堂朝礼】八木節

 昨日の朝礼では、6年生が行った八木節の演奏の映像を見せてもらいました。6年生の皆さん、すてきな演奏をどうもありがとう。皆さんも教室で演奏の様子を見たと思います。どんな感想を持ちましたか。私は、6年生の演奏は、どちらのクラスも個性的で自分たちの持ち味を出していたと感じました。
 A組の演奏はいろいろな楽器の音がぴたりと合っていて美しい演奏でした。和太鼓がしっかりした調子で、大きく音が響いていました。そのため他の楽器の人たちは演奏がしやすかったのではないでしょうか。たくさん練習を重ねてきたのだろうと想像しました。演奏は一人でしますが、自分の演奏に集中するだけではだめで、他の楽器の人とのリズムや呼吸を合わせなければいい演奏ができません。A組はチームワークがとてもよかったです。
 B組は、どの楽器の音もしっかりした音がはっきり出ていました。どの楽器の音にも力強さを感じました。それぞれの人が自信を持って演奏している安定感がありました。この演奏の秘密はきっと多くの練習をして得た結果なのでしょう。クライマックスの演奏は、段々と音が大きくなり、盛り上がりを感じました。B組はとても迫力があったところがよかったです。

 さて、6年生が演奏した八木節のもとになった歌は、江戸時代の終わりころ、新潟県から、栃木県の八木宿(やぎじゅく)に来て仕事をしていた女性が、ふる里を懐かしんで歌っていた歌だそうです。八木の町を行き来していた馬方という馬を引いて荷物を運ぶ人がその歌を聞き、まねをして歌うようになったそうです。それから馬のひずめのリズムを伴奏にしてこの歌を盆おどりの歌として歌い始めました。人の美しい声と歯切れのよいリズムとテンポにより、段々と人々の間でとても人気が出ました。大正時代になり「八木節」という名前が付けられたそうです。この八木節は故郷を懐かしむ歌であり、亡くなった方の供養をする盆踊りで歌われる歌です。

 聖ドミニコ学園でも今週の日曜日に追悼ミサという形で、お盆と同じように亡くなられた方を偲んでミサを行います。キリスト教では、死ぬことというのは、亡くなられた方の魂が神様の許に帰り、永遠の命を授かることです。亡くなった人の魂が永遠に安らかに過ごせるようにと祈りがささげられてきました。わたしたち生きている者は、亡くなった方が天国に入るために、その魂が罪の汚れから清められ、神さまのもとで永遠の命を授かることができるように祈ります。その祈りは死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために神さまに執り成しをしてくださいます。皆さんも、先週にお伝えしたメール・マリア・トマシナ宮城先生のこと、皆さんの身近で亡くなられた方のことを思いお祈りしてください。

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