ロザリオの月

 校庭のキンモクセイは毎年、そのかわいらしい花と香りで、わたしたちを楽しませてくれます。今年は例年より早く、9月の中頃から咲き始め、10月を待たずにすっかり花も散ってしまいました。キンモクセイのあまい芳香を短い期間しか楽しむことができず、たいへん残念です。今は桜の葉が黄色になり始めています。学園に生息するたくさんの木々もこれから、鮮やかに色づき、わたしたちの目を楽しませてくれるでしょう。
 2学期はオンラインで始まり、1週間はリモートでの朝礼や授業、その後の2週間は分散登校、今週からようやく一斉登校を始めることができました。久しぶりに会うことができた子どもたちのうれしそうな笑顔がわたしたちに元気を与えてくれます。首都圏の感染者数は、今は減少傾向にあり、このまま終息してくれることを願うばかりです。そして保護者のみなさまには、ご協力をいただき、たいへん感謝申し上げます。

  さて、カトリックでは10月はロザリオの月にあたります。ロザリオとは、カトリックで祈りの時に使用する数珠のようなものです。ラテン語に由来し「バラの冠」という意味があります。ロザリオは、一つの大珠と十の小珠の一連を五つつないで輪にし、下に十字架をつないだものです。

  10月7日は「ロザリオの聖母」の記念日ですが、これは1571年のギリシア・レパントの海戦でキリスト教徒がオスマン・トルコ軍に対して勝利を収めたことを記念して、聖ピオ五世教皇(1566~1572)によって定められました。この勝利は、ロザリオの祈りによってもたらされた聖母の助けによるものであると信じられています。またレオ十三教皇(1878~1903)は10月を「ロザリオの月」と定めました。(カトリック中央審議会ホームページより)

  ロザリオの祈りでは、お祈りするごとにロザリオの珠を繰りながら、誕生、啓示、受難、復活というイエスの神秘の生涯をそれぞれ五つの玄義に分けて黙想します。まず、それぞれの大珠で一つの玄義を黙想し、主の祈りを唱えます。十の小珠では珠一つにつきアヴェ・マリアの祈りを一回唱え、計十回唱えます。これを一連とし、五連唱えると一周(一環)します。伝統的には四つの神秘はそれぞれ曜日ごとに分けてお祈りしているようです。
 ロザリオの祈りは、聖母マリアに対する愛と信心をもって、主イエス・キリストへの信仰を深めるための祈りです。この祈りはシンプルで行いやすく、またいつでも、どこでも、だれとでも自由な形でできることから次第に普及していきました。
 ロザリオは聖ドミニコと聖母マリアに深いかかわりがあります。15世紀にドミニコ会士のアラヌス・デ・ルーペが、現在の形にロザリオの祈りをまとめ普及させ、16世紀に聖ドミニコがロザリオの祈りの創始者であると認められました。 
 異端と言われるカタリ派(アルビ派)は二元論を唱え、善悪二神を想定し、善神は霊界を、悪神は物質界を支配すると考えました。その考え方では、物質にかかわることは悪であり、体をもつキリストは神ではなく、天使に過ぎないということになります。カタリ派の考え方では、救いを得るには社会を捨て、物質にできるだけかかわらない生活をしなければならないのです。そのことにドミニコは「惨めさ」を感じました。カタリ派の人々が本当の信仰から外れ、神から与えられる永遠の救いを台無しにしていると思い、その倫理的惨めさに対して、そこから救いたいと考えるようになりました。しかし、初めのうちはなかなかうまくいかずに、フランスにあるアルビの大聖堂(セント・セシル大聖堂)で嘆き、祈っている時に、マリア様があらわれ、ロザリオを与えられたと言われています。多くの教会には、マリア様の手からロザリオを受けている聖ドミニコの様子を描いた絵画や祭壇などがあります。その様子は、ドミニコが幼子イエスを抱く聖母マリアの脇にひざまずき、その手から直接にロザリオを受け取っている像です。神に、そして聖母マリアに夜を徹して一心に祈る中で、ドミニコはロザリオだけでなく、たくさんの啓示を授かりました。それは「神のみことば」であり、「真理」です。わたしたちも聖ドミニコに倣い、祈りを通して困難を乗り越え、子どもたちに奉仕できるようにしてまいりましょう。

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