花の在り方

 先週、正門の桜が満開を迎えました。今、花は散ってしまいましたが、正門のマリア様はいつもと変わらず子どもたちをやさしく迎えてくれます。
 進級おめでとうございます。そしてご復活おめでとうございます。昨年度はコロナ禍により、6月から分散登校でスタートしました。当たり前にできていたことができない、もどかしい一年でした。しかし子どもたちはとても元気に毎日を過ごし、挨拶や行事での立ち居振る舞いの中に成長した姿を見せてくれました。その姿に私たち教師も励まされています。

 昨年度まで学園長と小学校校長を兼務していた山崎昭彦先生が校長を退任しました。学園長は引き続き勤めます。私は副校長として、みなさまにきちんとご挨拶できないまま、たいへん心苦しく思っておりました。今年度、校長を拝命しました。まだまだ不慣れなため、保護者のみなさまには、ご心配をおかけすることが多々あると思いますが、引き続きご理解とご協力をくださいますよう、お願いいたします。

 さて教会の暦では、4月4日が「復活の主日」にあたり、世界中の教会でイエス・キリストのご復活をお祝いしました。ブラジルでは子供たちに卵の形をしたチョコレートを渡す習慣があるそうです。当日は家族と一緒に、鱈料理をいただくことが恒例となっていると、ブラジルに引っ越されたご家族からうれしいお便りをいただきました。

  イエス様のご復活はキリスト教では最も重要な出来事です。イエス様が十字架で壮絶な死を遂げた後、復活して弟子たちの前に現れました。その時、弟子のトマスはその場にいませんでした。トマスは、実際にイエス様の釘の痕を見て、指を入れてみないと決して信じないと言います。その後、再びイエス様が弟子たちの前に現れます。

  ”さて8日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。”(新約聖書 ヨハネの福音書 20 26-28節)

   毎年、春には正門の桜は美しい花を見せてくれます。私は桜を見ると思いだす和歌があります。

 『年ごとに 咲くや吉野の山桜 木を割りて見よ 花の在りかを』

 この歌の作者は不明となっていますが、一説によると一休禅師が詠んだ句とも伝えられています。桜の木は、毎年春になると美しい花を咲かせます。しかしその花は、冬に木の幹や枝を割ってみても、花はあるはずがありません。花の命は目に見えないものです。そして私たちはその存在を知っています。見えないものを見ようとすることが大切なのです。そしてイエス様を見て、触れて信じたトマスにおっしゃいます。

 “イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」”(新約聖書 ヨハネの福音書 20  29節)

 イエス様は死を通して、私たちに「愛」を大切にして生きることを、復活によって、死の先にある「永遠の命」の存在を教えてくださいました。私たち大人もイエス様に倣い、豊かな人生を生きる姿を子どもたちに見せていきたいものです。

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