【聖堂朝礼】昭和三陸地震 1933年3月3日

 一昨日は春の嵐でした。雨もしっかり降りましたし、何しろ風が強かった。大変でしたね。

 その強い風のために、東横線は電線が切れて停電してしまい、翌日の昼まで電車が動けませんでした。休校にした学校もあったようです。その強い風の中、線路を守る人たちが夜通しで線路の周りを整えて、電車が走れるように働いてくださいました。私たちの毎日は、こんなふうに「見えないところ」で働いてくださる方のおかげで続けられています。感謝して、心に留めておきましょう。

 

 さて、昨日は33日。ひな祭りですね。桃の節句とも言います。

 中国では昔、川で身を清めて穢れを祓う習慣があったそうです。これが平安時代に日本に伝わりました。その後、自分が川に入るのではなくて、紙で小さな人の形(形代)を作って、それにけがれを移し、川や海に流してお祓いをするようになったそうです。このやり方は今でも、「流し雛」として行う地方がありますね。

 そして、もっと時代が進んで、人形がもっと立派で細やかなものになってきたので、流さずに飾っておくようになって、雛祭りをするようになったそうです。2Fのラッコの部屋には大きなお雛様が飾られていますね。お雛様の人形を通して、私の穢れが取れますように、世の中からウイルスが取れますように、とお願いしてみるのもいいかもしれません。

 

 さて、90年ほど前の33日に、東北地方で大地震がありました。1933年、「昭和三陸地震」と呼ばれるものです。マグニチュードは8.1。この間の213日の地震よりも強いもので、津波が起きて3000人ほどが亡くなりました。大変な地震だったので、東北地方の人たちは、この大地震を伝え続けていました。おじいちゃん、おばあちゃんからお話を聞いていた人たちは、津波が起きたら高いところを目指して逃げることを心に留めていました。「つなみ てんでんこ」という言葉が残りました。ばらばらでもいいから、自分の力で高台に上ることが伝え続けられました。

 それでも、10年前の311日、東日本大震災となる大地震と大津波は、逃げるのが間に合わないほどに早く強く襲ってきました。車や家が浮かんで流されたり、街がまるごと津波にさらわれたりして、東北地方は大変なことになりました。道路や建物は新しく作られたりしましたが、心の中では今もまだ、悲しさ、つらさ、怖さが消えない人がたくさんいます。

 東京も大きく揺れて、お父様お母様は10年前にそれぞれ大変な思いをなさいました。おうちでそのご苦労を聞いてみてくださいね。私はあの時、まさにここにいました。卒業式の練習を終えてマイクのコードを片付けていた時に大きな揺れを感じました。でも収まったので片づけを続けていたらそばにいた先生に「先生、校舎に戻った方がいいですよ」と言われて戻る途中、吊り橋のあたりでまた揺れて、放送室に入った時にうんと揺れました。

 

 この10年前の大震災で被災した方、亡くなられた方、家族をなくした方、家や仕事をなくして困った方々のために私たちもお祈りをしてきましたが、来週の聖堂朝礼がちょうど大震災のあったころに当たります。今、児童会の皆さんが来週の朝礼で「祈りの集い」ができるように、たくさん勉強して準備を進めてくれています。

 大切なのは祈ること、思いやること。知って終わりではなく、自分に何ができるのかを考えること。考えて、行動に移す人に、神さまのやさしい眼差しが注がれることでしょう。

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