【聖堂朝礼】私にできること 大雨をうけて

 今週の火曜日が七夕でした。ラッコの部屋に飾ってあった短冊を見たら、「クラスのみんなに会えますように」「なかよく学校に来られますように」というものから、「コロナが収まりますように」「大雨が終わりますように」というものまでありました。皆さんのやさしさを感じました。そして、短冊を見ていて、2年生の字がとてもきれいだったことに感心しました。
 その七夕の前の週から振り続いた大雨は、同じ地域で長い時間降り続け、大きな川を溢れさせて、とうとう九州の七つの県すべてで川の氾濫が起こりました。川の氾濫だけでなく、山の斜面が大雨でゆるんで土砂崩れが起きたところでは、大きな木が倒れてふもとの家を押しつぶしました。テレビのニュースで、その様子を見た人も多いことでしょう。七夕の夜、日本のほとんどの空が雲に覆われて、織姫も彦星も見えなかったようです。そして、水があふれたあとにも大雨が降ったところは、今も本当に大変です。泥だらけの町を元通りにしたいけれど、強い雨が降り続くから、すぐにはできません。水道が壊れたり、電気が止まったりした地域では作業が進まず、街の消防の人や自衛隊の人たちが助けに入っています。何日も作業が続いていますが、ヘリコプターやボートが近づけない場所には歩いていくしかないので、はかどりません。
 日本では、こうした自然災害を何度も経験していて、東日本大震災でも熊本地震でも西日本豪雨でも、そのたびに遠くの人もボランティアで駆けつけてくれました。助け合う心が素晴らしいと思います。でも今回は、助けに行きたくても、行かれないかもしれません。新型ウイルスの感染者がゼロの町に、遠くから来た人がウイルスを運び込んでしまうかもしれないからです。ボランティアに出かける人も、ボランティアを受け入れる地域も、どちらも慎重になっています。確かに、気をつけなければなりません。でも、助けなければなりません。
 避難所がいくつも用意されましたが、新型ウイルスに注意して、隣の人と近すぎないように工夫されたところもありました。それどころではなく逃げた人たちの中には、屋根はあるけど壁も床もない高台のドームに避難した人たちもいます。ウイルスの感染はこわいけれど、水害の場合は、取り残されないうちの早めの避難が大切です。
 私たちがしてあげられることは、何かないでしょうか。
 今から4年前、2016年4月に、熊本でとても大きな地震があり、お城も街も山も崩れました。そのときの、皆さんの先輩の声が「校報503号」に残されていました。6年生は寄付する物を細かく考えましたが、同時に、現地が混乱しているときに送っては迷惑になる、という意見もありました。5年生は「私たちの歌声を届けて慰めてあげたい」と日記に書いた人がいました。4年生は「アレルギーがある子のために薬を送りたい」と資料を持ってきてくれました。2年生でも「毎日のご飯を大切にいただこうと思いました」と日記に書いてくれました。誰もが心にかけてくれました。
 来週の水曜日、お弁当の日を「おにぎり献金」にしようと思います。熊本や長崎のカトリック教会を通じて、今困っている方々に、皆さんの気持ちを届けようと思います。お弁当のおかずをがまんできますか? その分を九州の人に送りたい、とおうちの人にお話しできますか? 誰かのために、私にできることを一つひとつやってみる。 それも、お祈りの一つの形なのです。

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