喜びのうちに待つ

 気がつけば12月。早くも一年を振り返る時期になりました。今年の日本は天皇ご即位をはじめ、さまざまな面で大きな節目が多くありました。それにしても、台風災害の手当てが追いつかないままに越年となる方々を思うと、穏やかではいられません。

 そんな中にあって、教皇フランシスコの来日は、私たちにとって大変温かいものでありました。ネットワーク社会にあっても自ら出向き、直接に出会う場を設けてくださったことを有り難く思います。ミサはもちろんですが、平和の集いや若者の集いでの労いや励まし、被爆者や被災者との面会など、すべての場面で希望を届けてくださいました。休む間もない4日間のご滞在、教皇の目には現代日本はどのように映り、そして現代世界をどのようにご覧になっているのでしょうか。

 教会の暦では12月1日の日曜日、「待降節第一主日」で新しい一年が始まります。待降節の数週間は、神から遣わされた独り子を待ち望み、心に受け入れる準備をする時期です。厳しい冬の時代にも神に向かって心を開き、喜びのうちに春を待つ羊飼いに、ご降誕の知らせが初めに届けられました。

待降節を前に、来日された教皇の言葉を改めて振り返りたいと思います。

 広島で、長崎で、東京で、その地にいる人々に合わせて発信されたメッセージがその都度伝えられましたが、すべてのメッセージには、平和の君である主に倣う思いにあふれています。

 広島では「戦争のために原子力を使用することは、現代において犯罪以外の何ものでもない(中略)次の世代の人々が、私たちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。」と語られました。また東京では「ここ日本は経済的には高度に発展した社会ですが(中略)いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見出せず、社会の隅にいる人が決して少なくないことに気づかされました」「共同体は、一人ひとりが支え合い、また他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追い求める過剰な競争によって、ますます損なわれています」「個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です」と伝えられました。

 人間の数限りない神への背き。それにもかかわらず回心を呼びかける神のいつくしみの最高の贈り物が、人となって遣わされた主イエスです。

 教皇の来日とメッセージは、私たちが希望と喜びを持って「その日」を待つように気づかせてくれました。ご降誕を待つ今、すべてのいのちをいつくしむ役割が私たちにあることを、喜びのうちに心に留めて祈りましょう。

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