歴史学習の歴史から

 聖母月をマリア祭で締めくくり、夏がやってきました。すだれ沼に向かう道には紫陽花が色づき始めています。長期予報では、今年の夏は暑さが長く続くとのこと、子どもも大人も、体調管理をしっかりとしてまいりましょう。

 5月に行われた4年生と5年生の林間学校は、おかげさまでそれぞれ無事に終えることができました。大自然の恵みを肌で感じ、充実した日程を過ごしてきたようです。予定通りにできたこともあれば、そうでなかった体験もしましたが、そのどれもが、自分一人では成し得なかったこと。帰ってきた子どもたちの表情にはたくましさが宿り、一つひとつが実りとなっている様子が感じられました。

 そしてまもなく、6年生は修学旅行で奈良に出かけます。歴史学習として、事前の準備は念入りです。丁寧な調べ学習をもとに、自分だけのオリジナルのしおりを作って旅行に備えます。この過程には教室で習った内容をもとに、各自がそれぞれに興味を深められる楽しさがあります。文字通りの学びの楽しみ。ここから、修学旅行は始まっているといえます。

 これまで、旅行先では宿舎でも寺院でも、私たちを大切に受け容れていただいています。それは、漫然と過ごす仲良し旅行ではなく、しっかりと事前学習をして臨んできた歴史があるからです。飛鳥寺でも橘寺でも、また薬師寺でも、小学生には少し難しい、でも、そこでしか耳にすることのできない貴重なお話を伺うことができるのは、これまでの六年生の学びのバトンが受け継がれ、学びを基にした「聞く姿勢」ができていたからです。また、学びだけでなく、お世話になる方々への丁寧な気持ちが、たとえば移動中の荷物の持ち方や置き方、脱いだ靴の整頓など、一人なら見過ごされがちなことであっても、大勢がまとまって行動するときの配慮があるから現地の方が認めてくださり、今に至っています。「私」がただ「連れられて」行くのではない、「私たち」の「一人ひとり」が自分に向き合って、課題意識をもって取り組んでいく姿が時を超えてつながり、一つの歴史となっていきました。

 行動の一つひとつは小さなことかもしれません。その小さな基礎基本を大切に、相手や仲間を思いやって丁寧に「今」を過ごす。その積み重ねがやがて生かされていきます。

 主イエスの死と復活から2000年、聖ドミニコの歩みが修道会という実りとなって八百年。神の前に謙虚に生きた人々の「今」が積み重なってバトンとなり、学園に渡されて一人一人が受け取り、今につながっています。

 歴史は自らが作るものではなく、積み重ねられたものを後世が評価し、生かすもの。創立記念日を迎えるにあたり、先人の積み重ねを振り返り、感謝したいと思います。

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