聖母に祈る 聖母と祈る

 新年度が始まり、あっという間に4月を終えようとしています。風薫る五月、青葉若葉の美しい季節となりましたが、列島各地は4月のうちに夏日・真夏日を経験し、地球環境の変化を実感します。それでも、吹き抜けていく風の心地よさは、今が一番と言えます。

 1年生は対面式を済ませ、音楽朝礼や聖堂朝礼など、上級生と一緒の場所にデビューしました。しっかり取り組む姿はすでに立派な小学生です。

 その1年生に寄り添う6年生の姿は微笑ましくも頼もしく、遊ぶ場面や給食のお世話はもちろん、下校後の教室を丁寧に掃除するなど、見えないところでも1年生を心に留めて働く姿勢に感心します。そして2年生もまた、お兄さんお姉さんとなって、同じフロアで暮らす1年生を後押ししてくれています。相手を思い、相手に合わせて歩む姿に大きな成長を感じています。

 さて、「聖母月」である5月。月末のマリア祭に向けて、子どもたちは日々の祈りを捧げます。

 おとめマリアは、天使から「あなたは身ごもって男の子を産む」「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と告げられたことに戸惑いながらも、「私は主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように」と、すべてを受け容れて、神に与えられた役割に生きる道を選びます。神に人生の全てを委ねるその生き方は、神への全き信頼の上にあり、人としてひたすらに謙虚であることの証です。

 それでも、マリアが目にすること、耳にすることには、理解を超えるものがあったようです。福音書には、生まれたばかりの赤子のお祝いに羊飼いたちが突然やってきたときにも、マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らした」とあります。また、神殿で迷子になった少年イエスを見つけ出したマリアが、心配したことを告げた時に、「私が自分の父の家にいることが当たり前だということを知らなかったのですか」と答えられ、ここでもマリアは「これらのことをすべて心に納めていた」とあります。そしてマリアは母として、聖父ヨセフとともにイエスの子育てに専心し、寄り添ってともに歩み続けたのでしょう。

 「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださった」「今から後、いつの世の人も、私を幸いな者と言うでしょう」(ルカ一章-48) と、親戚のエリザベトを前にして神を賛美したように、マリアは揺るぎのない信頼を神に向け、その身に起きる出来事の一つ一つを神の導き、神のご計画として受け容れ、心に納めていきます。

 謙遜のうちに神を信じ、祈るマリアの、出来事を心に納める姿は、後の世の人の深い学びと祈りに結びつきます。

 理解を超え、悩む場面に出会って聖母マリアに祈るとき、聖母はともに神に祈ってくださることでしょう。

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