『「その日」はいつか訪れる』

 11月下旬にはサッカークラブとバスケットクラブが私学体育発表会に参加し、また男児ラグビーも全学年が世田谷ラグビースクールと対戦して、大活躍をしました。学習発表会も5年・3年・2年の順で行われ、日頃の地道な努力の成果を見せてくれました。「この日」に向けて知恵を絞り、汗を流して備えてきた子どもたちを応援してくださった皆様に感謝しております。

 先日の、54年ぶりの降雪には驚かされましたが、天気予報のおかげで「この日」のためにそれぞれが備えることができました。しかし、福島県沖を震源とする地震と津波には肝を冷やしました。地震も津波も、天気のように事前に「この日」が訪れることを知ることは叶いません。「この日がいつ来てもいいように備えておく」のは、「この日を知る」ことよりも大切です。避難を促すテレビ画面のテロップがひらがな表記になるなど、これまでの教訓が生かされ、阪神淡路大震災と同程度の規模の地震でありながら、わずかな被害で済んだことは幸いでした。

 2011年、石巻市の門脇小学校の 校長、鈴木洋子さんは、定年退職を控えて最後の朝礼となる3月11日に、「桃花笑春風」(とうか しゅんぷうに えむ)という漢詩の一部を全校生に紹介し、最後のメッセージとして伝えていたそうです。厳しい冬を乗り越えて、桃の花は春風に誘われて咲き誇る。そのように、つらいこと、苦しいことは誰にもたくさん押し寄せるけれど、一生懸命生きていれば春は来る。そう伝えた矢先の東日本大震災でした。

 鈴木先生は海辺の学校に赴任した時から、津波への対応を心がけていたそうです。強く長い揺れに異変を感じて子どもたちをすぐに校庭に避難させ、直後に聞こえた津波警報を聞いて日和山へ、さらに高台の神社へと避難させられたのは、「この日」がいつかは訪れることを心に留めていたからでした。

 焼け残った金庫の中で卒業証書は無事に残り、ひと月後れの卒業式の式辞でも先生は、「桃花笑春風」を子どもたちにもう一度語ります。

  11月27日から待降節が始まり、全校で霊的花束の準備が始まりました。

 羊飼いたちは「その日」を知りませんでした。でも、神様に心を向け、つらい日々でもまっすぐに生きていました。そして一番に、天使から大きな喜びの知らせが届けられます。羊飼いたちのように、貧しくても一生懸命に生きる人々のそばに、主イエスは同じく貧しい姿でお生まれになりました。

 クリスマスは、神さまが私たちのところにお贈りくださった、私たちと同じ姿の御子のご誕生をお祝いする日。そして、いつか「その日」が訪れることを思い起こす、年に一度の大切な日です。いつか訪れる喜びの「その日」に心を向けて、静かな祈りのうちに待降節を大切に過ごしたいものです。

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