聖人列伝 -ドミニコ会の聖人・福者のご紹介-

聖マルチーノ・デ・ポレス

聖マルチーノ・デ・ポレス

 スペイン人貴族を父に、解放奴隷の黒人を母に、ペルーのリマで1579年に生まれた。
 リマのドミニコ修道院で「奉献されたもの」として看護士となる。1603年、同修道院で修道者として誓願を立て、看護係の仕事を続ける。断食と祈りを愛し、特に夜の祈りから大きな光を得て、ことばと行いで人々に伝えた。

 神秘的な賜物に恵まれて、人の利益のために奉仕していた。神から直接注がれた知識をもって、神学を勉強していないのに、神学者を驚かせるほどであり、多くの人は、なかでも司教と総督も、彼の助言を聞きに来た。しかし、かれは、特に貧しい人、インディオスたちと混血児の相談相手になり、彼らの多くの人に教理を教えた。

 当時としては、金持ちの子以外に考えられなかった教育施設を、リマ市の貧しい子どものために準備して、学校を開く。彼が開いた学校は今も存在している。

 彼の原始的なクリニックは、彼自身の布教のセンターとなり、彼の超人的に、また素晴らしい活躍はすべての人に不思議がられた。パッションに満ちたミッションを中心とした彼の行動から、リマの修道院から離れることはできなかったが、同時両所存在(ビロカシオ)という賜物で、アフリカの奴隷を慰めたり、中国と日本の宣教師と信者を助けたりするのが見られたこともある。

 リマでペストが蔓延した時に、多くの患者をひとりで看護し、多くの人を奇跡的にいやすことができた。また、人だけでなく、犬、猫、七面鳥、牛など、病める動物をも看護した。

 「愛徳の父」と呼ばれたマルチィーノは、1639年帰天し、その墓で数えきれないほどの奇跡がおこなわれ、すぐに聖人として崇敬された。しかし、混血児だったので、すぐにはじまった列聖調査は妨げられた。

 やがて、約300年後に教皇ピオ11世により列副、1962年に教皇ヨハネ23世により列聖され、1966年教皇パウロ6世により、ペルー国のテレビと教育施設の保護者と宣言された。

文/小学校教頭 米田成昭