聖人列伝 -ドミニコ会の聖人・福者のご紹介-

ヴェローナの聖ペトロ

 説教者会で創立者の後に列聖された最初の聖人で殉教者、ヴェローナのペトロ(+1252年)は異端審問官であった。カタリ派の両親のもとに生まれた彼は、1221年ドミニコの会に入会した。聖ドミニコが亡くなる数か月前、ボローニャで聖ドミニコ自身が彼を会に受け入れた。彼の伝記作家レンティノのトマスアニを信じるなら、ヴェローナの聖ペトロはマニ教が相変わらず実存していた北イタリアのために、グレゴリオ九世教皇によって異端審問官に任命され、説教によって多大な成功を収めた。

 兄弟ペトロは復活祭の八日目の日曜日の信仰の勤めを行うために、コスマからミラノに行かなければならなかった。それで彼は前日、土曜日に準備した。早暁に出発しようとしていたので祝福を受けた後、彼は突然、出発前に復活のミサを行う望みに駆られた。しばしばゆるしの秘蹟を受ける習慣のあった彼は、同伴してくれることになっている兄弟の一人の足元に平伏し、普段より長く、念入りに告解した。これを伝えてくれたのはこの兄弟である。それから敬虔にミサを執り行って、三人の兄弟と共に出発した。

 これら兄弟たちが後で話してくれたところによると、彼は旅行の間ずっと何人かの殉教者の英雄的な苦しみについて語るほかは何も言わなかった。この長い話を終えると、彼の習慣に反して復活祭の続唱、ヴィクティメ パスカリを大きい声で歌い始めた。まもなく彼と共に殉教するはずの兄弟ドミニコもすぐに一緒に歌い始めた。しかし、コンラドと呼ばれるひとりの兄弟が同じ歌を五度のところで歌いながら調和させようと試みると、兄弟ペトロは優美に彼の方に向きかえって言った:「私と兄弟ドミニコだけで歌わせて欲しい。なぜならあなたの音は不調和だ」。兄弟は黙った。そして二人は続唱を最後まで大声で歌った。

 歌い終えると、彼らは昼食の時間にミラノ教区のメダと呼ばれる村に入った。宿主に非常に重い負担を押し付けないように、彼らは昼食のために二人ずつ分かれた。兄弟ペトロと兄弟ドミニコはすでに食事が用意されていた隠棲修道院へ行ったので、非常に早く食べることが出来た。彼らは食事の後合流できる場所を他の兄弟たちに教えるために一人の使者を送った後、まるで彼の冠を急いで手に入れようとしているかのように道を続けた。

 町から二マイルのところで、彼らは金で雇われた二人の殺人者が待ち伏せしていた小さい丘に着いた。兄弟たちを遠くから見て、彼らは殺すことを話していた。しかし、彼らの一人はそのような犯罪の共犯者となることに良心の呵責に襲われ、仲間から離れた。彼は町に急ぎ、他の二人の兄弟に出会ったとき、彼らにすべての不正の陰謀を泣きながら明らかにした。二人の兄弟は兄弟ペトロを助けるために全力で走った。しかし、彼らが着いたとき、もう一人のサタンの使いがまさかりで五回叩きながら兄弟ペトロを殺した。

 六日間生き残ったもう一人の兄弟の証言によれば、彼は叩かれている間救い主キリストに倣って抗議せず、身を守ろうとせず、逃亡しようともせず、終始一貫して叩かれるのに耐えていた。彼は受けている暴力を赦した。彼は天に手をあげ、主よ、み手の中に私の霊をお返ししますと大声で言いながら、彼の殺人者のために祈った。真昼に十字架にかけられ復活されたキリストに、彼は穢れのない彼の霊を戻した。

文/理事長 武田教子