新しく歩みましょう

 気がつけば初夏を迎えている日本。収束と言えるかどうかは別にして、緊急事態の解除が宣言され、学校に通学する道が開かれました。友達や先生と顔を合わせ、触れ合う時間を取れるようになり、ひとまず安堵します。今まで通りにはならないでしょうが「新しい日常」を一つずつ作ってまいりましょう。

 思えばこの3か月、「日常」がなくなってしまったことで、子どもたちも私たち大人も、自分がどこに立っているのか、見失いがちな日々でした。勉強も運動も買い物も思うようにいかない、暗くなりがちな日々の、なんと長かったことでしょう。今まで通りの平凡な毎日がどれほどにありがたいことか、深く気づかされることとなりました。

 この間、困難に立ち向かってくださっている医療関係者や流通・物流など多くの皆様の大きな働きによって、私たちの暮らしを支えていただいています。感謝の気持ちをお届けしたいと思います。そしてまた、学園の子どもたちや教職員を気遣って、消毒液やマスクをご寄贈くださった方、オンライン対応の用品不足に気づいてご寄付くださった方、ほか多くの保護者の皆様が支えてくださいました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

 日本では緊急事態が解除されましたが、南アジアや中南米、アフリカではまだ第1波の真っただ中にあります。世界中がつながっている現代社会、私たちも第2波を覚悟し、生活はもちろん、子どもたちの学習の継続に向けて着実に備えていきましょう。

 さて、この奔流にあって忘れてしまいがちですが、登戸駅前でスクールバスを待つカリタス小学校の子どもたちや見送りのご父母の命が瞬時に奪われてしまった、5月28日の悲しい事件から1年が経ちます。誰もが深い悲しみに沈む大変な出来事でした。

 この事件に巻き込まれた方々も、また大震災や洪水被害にあった方々も、その悲しみが癒えないうちに今度は新型ウイルスの広がりに怯えることとなり、今静かに堪えていらっしゃいます。

 いのちが奪われることの悲しみは「数」で計られるものではありません。NYタイムズ紙が、新型ウイルスで亡くなった方のお名前と人となりを千名分も一面に記載しました。これは、悲しみが表やグラフで表されるものではないことを示しています。

 見えていないもの、遠くにあるもの、過ぎ去ってしまったものに対して無関心、無神経になってしまう弱い心が私たちにはあります。

 その弱さを振り返り、私たちは悲しみに沈む方々に祈りのうちに改めて寄り添い、心を合わせたいと思います。

 今年のマリア祭はオンラインで行われました。聖堂で一堂に会して行われる例年のマリア祭と、形こそ違いますが、皆で心を合わせるひとときがあることの豊かさを感じることができました。ご家庭のご協力に感謝するとともに、いつも通りにできないことを嘆くのでなく、今ならどうすればマリア祭ができるのかを考え続け、工夫を重ねてくれた先生方に感謝しています。

 今月11日は学園の創立記念日です。例年であればそれぞれにお祈りいただくため休校でしたが、今年はどの学部も授業日となりました。そんな毎日を「慌ただしくて大変だ」と考えるかもしれませんが、創立時を思い浮かべれば、それこそ毎日が「新しい」出来事の連続で大変だったと思うのです。

 今、私たちにとっての文字通り「新しい」日々が始まります。時代の風をつかみ、先人の知恵を大切に生かしつつ、今の子どもたちのためにできることに心を向けて、知恵を絞っていきたいと思います。

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