積み重ねるなら

 5月は、聖母マリアに祈りを捧げる聖母月です。カトリック聖歌の一つに「あおばわかばに」という曲がありますが、爽やかな歌詞と伸びやかな旋律が聖母月らしさにあふれて心に残る、私の好きな曲の一つです。その歌詞にあるように、キャンパスには色濃く伸びゆく若葉が子どもたちを包み、爽やかな風が吹き抜けていきます。

 新年度を迎え、今上天皇のご退位を前にして、平成最後のひと月を心に留めようと過ごす穏やかな日本。しかし海外からは、心の痛むニュースがいくつも飛び込んできました。

 パリのノートルダム大聖堂が火事にあったのは「受難の主日」の翌日。そしてスリランカの教会等での爆発事件は復活祭の最中でした。聖週間を過ごしていた私たちとって、そのどちらもが悲しいニュースでした。

 ノートルダム大聖堂は聖ドミニコがこの世に生を受ける前に着工されています。「我らの貴婦人」すなわち「聖母マリア」の名を持つ大聖堂。中心となる聖堂部分が出来上がったのでさえ、聖ドミニコの没後でした。現代の姿に形づくられるまでには、200年近くを要しています。当時の方々の浄財によって、長い時間をかけて建てられたのでしょう。願いの積み重ねの結晶が焼け落ちてしまいました。

 修復に向けて巨額の献金を申し出た企業がありました。しかし、それだけの財力があるなら今を生きる人のために用いるべき、とする意見も聞こえます。世界遺産だから、という視点もあるでしょうが、先人の願いの積み重ねに思いを馳せて、初心=十字架の死と復活=を振り返り、悲しみに寄り添って、ともに祈りたいと思います。

 スリランカの連続爆破事件では、過激派からの犯行声明が出されたようで、一部報道では、別の地域の過去の事件に対する報復ではないか、との見方もあるようです。されたことは忘れない。やられたら、やり返す。憎悪の積み重ねが焼け落ちることなく厚みを増すなら、主の悲しみは深まるばかりです。

復活の主日に洗礼の恵みに与った3年生が、その準備期間に書いていた作文の一部をご紹介します。

 「一つ疑問があります。イエスさまはなぜ復活したのに、その後神さまのことを伝え続けなかったのでしょう。ぼくは考えました。愚かな人間が罪を犯した時の悲しさのあまり、天国に戻られたと思います。その後ずっと救い主は現れませんでした。たぶん神さまは、いくら救い主を送り出しても人間はわかってくれないと思ったのでしょうか。それとも、自分たちで気づくのではないかと、救い主を送り出さないのではないでしょうか。神さま、私たち人間を見捨てないでください。アーメン」

子どもの素直な祈りを光に、私たち大人も聖母の取り成しを願い、平和への祈りを積み重ねる5月にしましょう。

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