新しく生きる喜び

 暖かな春の日差しを受けて、中庭のケヤキは春休みの早い時期から葉をつけ始め、見上げれば今はすっかり春らしい緑色をまとっています。そして寒の戻りがあったおかげでしょうか、校門の桜は満開のまま、子どもたちの登校を待っています。

 ご入学・ご進級おめでとうございます。新しい気持ちで今日を迎えられたことと思います。今年は学園創立65周年という節目の年にあたります。大切な記念となる年度の始まりを前にして、新しい元号が発表され、特別な年度初めになりました。来月1日には令和元年となって皇太子が天皇に即位され、新しい世代に国民の象徴としての役割が託されます。

 新元号が発表された一日の正午前、街の様子を伝えるニュースには、笑顔で喜ぶ人たちが映し出され、「新しくなる」ことへの期待が溢れているように感じました。街の大型ビジョンに向かってほとんどの人が一斉にスマートフォンを向けている姿は、平成元年には想像できなかった光景です。

 天皇が代わるたびに元号を新たにするようになったのは、長い歴史の中では最近のことで、その昔は政治的な理由のほかに、災害や飢饉、疫病の流行などさまざまな理由で改元されました。悲しく辛い出来事を吹き払うように元号を新しくする昔の人の気持ちには、新しい呼び方を口にすることで明るい未来が始まるという大きな期待があったからでしょう。それは現代でも同様かもしれません。

 世界の国々ではそれぞれの文化の中で暦が生まれ、時代が区切られてきました。西洋で多く用いられている西暦(グレゴリオ暦)に統一した方が効率的だ、という声もあり、一方で和暦の伝統・文化を大切にしたいという声もあります。何かと効率が求められる現代社会にあって、この改元は文化を振り返る機会でもあります。さまざまな文化を取り入れてきた柔軟な日本社会は、暦を上手に併用するのでしょう。

 世界で広く西暦が用いられるきっかけとなったのが主イエスの生と死です。一人の幼子が生まれた喜びからではなく、人として生きた神の子イエスが十字架にかけられ、その3日後に復活されたという2000年前の大いなる出来事から、新しい世界が切り拓かれました。 

 神の眼差しを忘れ、上手くいかないことや望んでいない出来事があれば誰かのせいにしてしまう私たち。愛する前に人を責めてしまう弱い私たち。それでもなお、神のあふれるいつくしみを語り、新しい人になるようにと、主イエスは十字架を通して伝えます。

  主イエスのご復活によって、神と私たちとの交わりは新しくなりました。その喜びを祝う復活祭、今年は4月21日です。進級、入学という喜びとともに「新しく生きる喜び」を、主とともに、主のうちにお祝いしましょう。

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