祈りのうちに

 先日は公開授業にお越しくださり、ありがとうございました。雪がちらつくほどの寒さでしたが、子どもたちの表情は、見ていただける喜びにあふれていました。他にも2年生のドミニコ郵便局や各学年の社会科見学、ラクロスやバスケット、ラグビーの試合など、2月はさまざまなことがありました。

 半ばには、数年ぶりに来日された聖ドミニコ会の総長様が東京のキャンパスを訪れてくださいました。小学校では音楽朝礼の場でお迎えをし、6年生の代表がフランス語でご挨拶しました。総長様はスペインのマドリッドにある聖ドミニコ学園を卒業され、今は聖ドミニコの精神を伝えるために世界を回っているとのこと。クリスマス献金をお送りしているアフリカのベナンの修道院のこともお話しくださいました。子どもたちは日頃練習している日本語の曲と、聖歌「あめのきさき」を日仏英の三か国語で歌って歓迎しました。フランス語の歌詞のところではご一緒に口ずさんでくださり、温かいつながりを感じました。デジタルの時代であっても、直接にお会いすること、溢れる笑顔をいただくことで得られる安心感、親しみは格別のものと感じました。

 さて、すべての教室に一年間飾られていた棕櫚の枝が外されました。枝は教会に集められ、灰にされます。

今年の暦では、3月6日の「灰の水曜日」から四旬節に入ります。主のご受難とご復活までの約40日、主イエスが霊に導かれて荒れ野で過ごされた40日間を思い起こし、あらためて神さまに心を向けます。

 灰の水曜日のミサでは、マタイ福音書6章の前半が取り上げられます。「山上の説教」として有名な箇所で、施しと祈りと断食について、次のような表現が繰り返し書かれています。

「あなたがたは偽善者のようであってはならない」

「隠れたことを見ておられるあなたの父が、報いてくださる」

施しも祈りも断食も、人に見られるためにするようではいけない、すでに神さまはあなたをご覧になって報いてくださる、と教えています。

 あの大震災から8年が経とうとしています。被災された方々のお互いの助け合い、駆けつけたボランティアの皆さんの活躍は、誰かに見てもらおうとしたのではなく、「今、助けずにはいられない」愛の実践そのものでした。

 児童会では今年も「3・11 祈りの集い」の準備を進めています。6年生はきっと、見られるためではなく、静かな祈りのうちに、ともに歩む姿勢に導いてくれることでしょう。総長様がその場にいらしたら、聖ドミニコの精神を感じてくださることと思います。

この一年間のご協力に心より感謝しております。それぞれの卒業・進級に向けて、残りわずかな「ありがたい」日々を、大切に過ごしてまいります。

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