私のために祈ってください

 全国的に警戒レベルとなった今年のインフルエンザの感染は、学園にも忍び寄っていました。先週は中学で学年閉鎖があり、幼稚園は今週いっぱいの園閉鎖を余儀なくされました。小学校は今のところ持ちこたえているものの、1月の感染者は6学年合わせて約40名と、充分に注意しなければならない広がりを見せています。中学受験を控えた6年生の無事を祈るばかりです。

 エミリオ神父様による月一回の保護者向け宗教講話もちょうど園閉鎖と重なってしまい、参加人数がすっかり減ってしまいました。もちろん、人数の多少に関わらず講話とミサが行われ、静かな祈りと温かい雰囲気、そして神父様の笑顔はいつもと同じでした。

 その講話の前日、小学校では「学校案内」がありました。これは、学園に興味のある未就学児(や転入希望)のご家庭向けに、ドミニコでの学びをお伝えし、校舎案内をするものです。

 校舎巡りの最後に聖堂にご案内します。今回は祭壇が「宗教講話バージョン」に整えられていました。ホワイトボードには城塞都市エルサレムが図示されています。

 終了後、あるお客様が祭壇横のボードに目を留められました。これは神父様とご一緒に聖書を読む保護者向けの講話の準備なのです、とお伝えしたところ、「それは素敵な学校ですね。私たち大人も学べるのですね」と言っていただけました。普段からお祈りをすることや、神父様やメール方の講話が用意されていることが「当たり前」になってしまっている私たちには気づかないことでしたが、新しい目線でご覧になるお客様はすべてを新鮮に受け止めてくださいます。それは、子どもたちと過ごす毎日と同様に、私たちの気づきにつながっていきます。

 さて、今年の11月に、教皇フランシスコが来日されるとの報道がありました。被爆地の広島や長崎、そして東日本大震災の被災地などに来てくださるようです。教皇様の目に、被爆地・被災地がどのように映るのでしょうか。私たちの気づいていないことに目を留めてくださるかもしれません。

 教皇様が就任されたのは2013年。バチカンの広場に集まる一般の方々に向けて、就任して最初の呼びかけでは、「これから皆様を祝福しますが、その前にお願いがあります。主が私を祝福してくださるように皆様に祈ってほしいのです」と話され、しばしの沈黙の祈りの後に、会衆を祝福されました。

 そういえば昨年、枢機卿に選ばれた前田万葉大司教も、お会いした時にお祝いをお伝えしたところ、やはり「私のために祈ってください」とおっしゃいました。私は弱い存在です、どうか私のために神に祈ってください、という謙虚さが、私の心に残りました。

 私のために祈ってくれる誰かがいる。その集いの中に、主がおられるのです。

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