『支配せよ とは』

今年は例年より早く、8月末に始業式を行って2学期が始まりました。久しぶりに子どもたちの声が響くキャンパスから、いのちの息吹を感じます。

子どもたちは皆それぞれに、夏休みをご家族ご一緒に有意義に過ごされたことと思います。さまざまな体験は思い出となり、糧となっていきます。

この夏は、これまでとは大きく違う気候に影響された夏でした。熱中症による救急搬送が過去最高というのもうなずける猛暑が続きました。豪雨や台風を伝える天気予報やニュースでは、「記録的な」「経験したことのない」という表現が頻繁に使われ、避難の呼びかけも「ためらわないで」などと強く促す表現が使われたのは、これまでにないことでした。科学の進歩によって天候の変化をより速く詳しく知ることのできる時代になっても、いのちを守り、生かすには新しく考える柔らかさが必要な「新しい時代」になったのかもしれません。

地球環境の変化について、これまでさまざまな分野から指摘されてきました。歴史を振り返れば人類はそのつど、時間をかけて対応策を現実のものにして「成長」してきたはずです。それでもなお、私たちの社会の在り様は今、地球への優しさに欠けているようです。

8月下旬に私は、カトリック学校の校長のための黙想会に参加しました。司教様に導かれ、聖書を読んで講話を伺い、各自の黙想に入るという3日間のプログラムでした。取り上げられたのは旧約聖書の創世記。1章では、神さまがすべてをお造りになる「天地創造」が、2章では人が造られる様子が描かれています。別の語り部が語り継いだ話が一つにまとめられたと伝えられていて、少し表現が違っていますが、神さまが人をどこまでも大切に思っていのちの息を吹き入れられたことが伝わってきます。

2章では、神さまは土の塵から人をお造りになり、鼻から息を吹き込んでくださった、とあります。小さな存在に神さまの方から歩み寄り、かがみこんで人を生きるものとしてくださった、それほどに人を愛してくださっているということが、数千年前から語り継がれてきた神さまの姿です。

「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(一章28節)

この「支配せよ」とは、神さまが造られたすべてのものを「大事に育てていきなさい」という意味だそうです。フランシスコ教皇は着任早々、回勅「ラウダート・シ」を通して、科学的な側面を踏まえて地球環境を統合的に考えるよう世界に呼びかけられましたが、そこに必要な謙虚さが、現代を生きる私たちにあるでしょうか。

災害から生き延びるためという視点だけではなく、地球のいのちに生かされているという謙虚さをもって、一日一日を大切にしてまいりましょう。

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