ご復活の光の中に

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。そして在校生の皆さん、ご進級おめでとうございます。それぞれの春休みを過ごし、新しい気持ちで張り切って新年度の始まりを迎えられたことと思います。

 今年は桜の開花が平年よりもずっと早く、学園の門の桜はすでに葉桜となりましたが、幼稚園庭の桜だけは今も鮮やかな春の装いを見せています。

 3月下旬は、冬の寒さを思い出せないほどに暖かい日が続きました。卒業式の頃までは落ち葉掃きが必要だった中庭では、聳え立つケヤキが驚くほどの速さで柔らかな葉を身にまとい、子どもたちの遊びの場は今、初夏を感じさせるほどの明るい緑で豊かに彩られています。桜だけではない、厳しい季節を乗り越えて新しく輝くいのちの力強さには目を見張ります。

 4月1日の日曜日、世界中の教会で復活祭のお祝いがありました。クリスマスほどの華やかさはありませんが、イースターという呼び方も含め、以前よりも広まってきたようです。

 十字架にかけられた主イエスの復活は、事前に知らされていた弟子たちにとっても不思議な出来事だったのでしょう。3日目の早朝、初めに墓を見に行ったマグダラのマリアも、ペトロも、もう一人の弟子も、ご遺体が見当たらないという目の前の事態をすぐには呑みこめませんでした。その後、墓の外で泣いているマリアは、復活された主から声をかけられ、気づきます。急いで弟子たちに知らせに行きました。

 ところが、ご復活を知らされた弟子たちが、すぐに大歓声を上げて喜んだ様子はありません。むしろ、マリアの報告を聞いて心が騒いだかもしれません。主イエスが捕えられた後、自分はその場から逃げてしまった、人に問われても主を知らないと言ってしまった、十字架の近くで祈ることもしなかった、埋葬の手伝いもしなかった、ご復活の知らせを聞いても出かけなかった…弟子たち一人ひとりの心には、自分たちを大切にしてくれた先生に合わせる顔がないほどの申し訳なさを感じ、自分の弱さを恥じ、あるいは主から叱責を受ける恐れを感じたかもしれません。そんな弟子たちの中に現れた主は、「あなたがたに平和があるように」と穏やかに語りかけました。

 ご復活の喜びは、再び主に出会えた喜びであり、また弱い自分を責めず咎めずただ赦す、その赦しに包まれた安らぎに触れた喜びでもあります。赦されたことで古い自分を捨てる勇気が得られ、新しいいのちに生きる力があふれてくる喜びです。

 これから始まる学びの日々、明るさと穏やかさもあれば、時には厳しさや難しさを感じることもあるでしょう。主によってすでに赦されていることを思い、赦す自分に出会う時、わたしたちはご復活の光の中にいるのです。

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