無言を聞く

 2学期が始まり、子どもたちの歓声がキャンパスに戻ってきました。夏休みを経て、一回り大きく成長した子どもたちの姿を頼もしく思います。

この夏は、これまでの「夏らしさ」があまり感じられないような天候が続きました。3年生が学校の畑に植えたひまわりは、7月末には2メートルほどにも成長しましたが、世田谷の花火大会が中止になった嵐の翌朝、東側の数本が根こそぎ倒されていました。日本だけでなく、中国やアメリカなど、各地の豪雨災害を伝える報道に心が痛むと同時に、「ともに暮らす家」としての地球が痛めつけられ、悲鳴を上げている、その無言の声にしっかりと耳を傾けていかなければ、と思いました。

 8月の下旬、私は長崎の五島にある教会群を巡る研修に参加してきました。長崎には約140の教会があり、そのうち五島だけで50の教会があります。長崎港から船で一番南の福江島に渡ったのを皮切りに、北に向かって久賀島、奈留島、若松島、中通島、そして今は住民のいない野崎島まで、バスや漁船で巡ることができました。

 ご案内くださったガイドさんは、時に物語の語り部として、時に歴史学の教授として、そして時には漫談家のように、私たち巡礼団を導いてくださいました。初期の教会は一般の民家のような建物だったそうです。16世紀にはすでに宣教師が入っていましたが、禁教令の時代に棄教を迫られ、迫害を受けてもなお、後世に信仰をつないでいった当時の方々の真摯なお気持ちや生活のご苦労が伝わってきました。

 建物の美しさに目を奪われがちな私たちにガイドさんは、「建物は物を言いませんが、この教会を建てた人、ここで祈った人の思いを感じ取ってください」とおっしゃいました。

 その後、小学校の先生方とともに、長野県上田市にある「無言館」を訪ねる機会がありました。この施設には、太平洋戦争に駆り出されて帰らぬ人となった若き画学生の遺作が展示されています。どの作品も、無言で私たちに語りかけてきます。記念碑には、次のように刻まれていました。

 

画家は愛するものしか描けない

相手と戦い 相手を憎んでいたら

画家は絵を描けない

一枚の絵を守ることは

「愛」と「平和」を守るということ

 

 相手を愛するから創りだせる。碑文を読み、おつくりになったすべてのものを愛してくださる神さまのメッセージを受け止めているか、自問しました。

 時代の流れに追い立てられ、つい駆け抜けてしまう私たち。でも振り返って立ち止まり、無言のメッセージに耳を澄ませて祈ること。無言を聞き、無言から学ぶ。その力をも神さまは確かに、私たちにくださっているのです。

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