いつくしみを胸に抱いて

「行事の秋」は駆け足で走り去り、昨日から主イエスのご降誕を待つ「待降節」に入りました。子どもたちは、霊的花束を通して心の準備を始めます。

さて、12月8日は「無原罪の聖マリアの祭日」。神の特別な計らいにより、イエスの母となるマリアが、原罪を負わずに母アンナの胎に宿った日として記念されています。教皇フランシスコは今年のこの日から約1年間を「いつくしみの特別聖年」として、人々の心の平和を呼びかけています。

待降節に入った今、「いつくしみ… それは喜びの源、静けさと平和の泉」であるというこの教皇のメッセージに耳を傾けることは、そのまま救い主を待つ心の準備になるものです。そのメッセージには、「自分を傷つけた相手を赦すことは、いつくしみの愛を最も明白に示す表現」であり、恨み、怒り、暴力、復讐を手放すことが、幸せに生きることの必要条件」である、と語られています。

パリ同時テロは心に重いものを多くの人にもたらしました。自由に行き来できるようになっていたEU諸国間の国境警備が厳しくなり、非常事態宣言の出された国や地域が増え、各国による反撃も激しさを増してきて、世界は闇に覆われ始めています。

同時テロの翌週、4年生が一人ひとりお祈りを作ってくれました。その折、

家族を亡くされた方々が、早く希望を持つことができますように」と被害者家族を気遣う祈りと併せて、次のような祈りが多く寄せられました。

「間違った思い込みをしている人たちが、神のお心を理解できますように」

「神さま、私はこの人たちを責めません。なぜならその人たちはもともとはいい人で、神さまから大切な命をいただいた人たちだからです」

私もやられてもやり返さず、イスラム教を悪い教えと思わず、同じ人間だという心を与えてください」

悲しい出来事を前にしても心を柔らかく保ち、相手との対話の扉を閉ざしていないこれらの祈りから、この子どもたちは、世界に生きる誰もが「神の似姿としてつくられた」ことを自覚し、「神のいつくしみ」を大人たち以上に理解していることが感じられます。

 神は、生きる不安、社会への不信という闇に覆われて苦しむ罪深い人間すべてを包み込み、最愛の独り子を世に遣わされました。弱く小さな幼子という形で私たちに光をもたらし、いつくしみのうちに神と人間との対話の扉を開いて、平和の泉へと招かれました。

闇に覆われた現代社会において、対話は光へとつながります。年初より、子どもたちに「つなぎたいことは…」と考えを巡らしてきましたが、神がつくられたすべてのいのちに目を向けていつくしみ、対話する姿を身近なところから大人が見せることもまた、つなぐべき道の一つと言えそうです。

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