無関心ではいられない

朝はまだ冷え込みますが、日中は温かくなり、春の訪れを実感します。小学生は今、60周年記念音楽祭に向けての準備を、参加する児童もしない児童もともに取り組んでいます。その練習風景には笑顔がいっぱい。子どもたち一人ひとりに「光」を感じます。

この一年、子どもたちの心と体の健康を守り、学園生活を大切に考えて毎日をご準備くださった保護者の皆様に、心から感謝しております。

2月18日の「灰の水曜日」からの40日間を、教会では「四旬節」と呼んでいます。イエスは、公生活に入られる前に荒れ野に入り、40日40夜断食をして過ごされました。この時に悪魔が「お前が神の子なら、石がパンになるように命じなさい」と誘惑するのに対して「人はパンだけで生きるのではない」と答えて悪魔を退けます。四旬節はこのイエスの40日をなぞり、復活祭までの約40日間、神様に改めて心を向け、特に苦しみと困難の中にいる人々を心に留めて過ごします。

この時期に世の中に流れるニュースではカーニバル(謝肉祭)が多く取り上げられますが、カーニバルの語源となるラテン語では「肉を取り除く」の意味ですから、四旬節という断食(節制)の期間を意識し、その前に大いに楽しんでおこう、という趣旨なのでしょう。

その賑やかなはずのカーニバルが、ドイツ北部の市では、今年はテロ情報のために中止となりました。市民の落胆とともに緊張も伝わってきます。

イエスは退けましたが、人間はどうしても悪魔の誘いに勝てないところがあるようです。相手に対する無理解や無関心、また「自分さえよければ」という態度からいつの間にか憎しみが生まれ、憎しみを呼び、互いの安らぎが遠のいていく。その連鎖からの脱却を目指した学びや対話がなされるよう、四旬節の今こそ、祈り求めましょう。

さて、東日本大震災からまもなく4年を迎えます。今年も児童会主催の「祈りの集い」が聖堂で行われます。各学年の代表による共同祈願を軸として全校で祈るこのひとときを大切にし、被災された方々に寄り添う私たちであり続けたいと思います。

教皇フランシスコは、この四旬節を迎えるにあたって発信したメッセージの中で、人々の「無関心という利己的な態度が、『無関心のグローバル化』と言えるほど世界中に広まっている」と指摘しています。振り返って私たちは、被災地に対して関心を持ち続けていると自分では思いながら、気が付けばあの2011年のような節電、節制から遠ざかり、具体的な行動において関心が薄れているかもしれません。

記念音楽祭当日は、常に弱者に寄り添ったイエスを人々が大歓迎した「枝の主日」にあたります。出会えた奇跡を、他者との関わりがもたらす豊かさを神様に感謝して祈る日にしましょう。

一覧に戻る
PAGETOP