つなぎたいことは・・・

新年あけましておめでとうございます。昨年末はクリスマス献金にご家族皆さまでご協力くださいましたこと、心より感謝申し上げます。

元日の東京は雪が舞い、日本各地も大雪に見舞われるなど、近年には見られない年明けとなりました。時の流れは常につながり途切れることなどありませんが、人はある区切りを持ってそれまでを振り返り、これからを展望します。新年を迎え、新しい気持ちになることのできる心地よさも、神さまからいただいたお恵みの一つです。

さて、未年である新年にあたり、羊飼いに焦点を当ててみたいと思います。

待降節の折にもお伝えした通り、キリストイエスのご降誕の知らせを最初に告げられたのは羊飼いたちでした。彼らはそのお告げを受け容れ、自ら一歩を踏み出してその知らせを人々につないでいきました。「つなぐ存在」としての羊飼いの姿がそこにありました。

羊は弱い動物ですから、群れとなって日々を過ごします。その群れ全体を牧草地に導き、水や食料を与え、肉食動物から守るために、常にともにいる羊飼いがあってこそ、羊はいのちをつなぎ、安心して暮らすことができます。

私たちが安らぎのある世界に導かれ、日々の糧を与えられ、誘惑から守られているのは、キリストイエスが、神と私たちをつなぐ存在として、常にともにいてくださるからです。

イエスは、人々を牧する善き羊飼いとして、弱い羊と同様に一人では生きることのできない弱い私たちとともに歩み、天の国へとつないでくださいました。

カトリックの司教が持つ「司教杖」は手元がフックの形になっていますが、それは、道に迷い、足を踏み外した羊を正しい道に引き戻すために用いられる羊飼いの杖を象徴したものです。イエスの慈愛の眼差しは、このように現代までそのしるしが引き継がれ、時を超えてつながっています。

善き羊飼いに倣って歩むとき、「つなぐ存在」として今の私たちにできることは何でしょうか。つながりが切れてしまえば「私」という人間は存在できません。では、どちらに目を向けて一歩を踏み出せばよいのでしょうか。

さまざまな面で今年は節目の年でもあります。’45年8月15日の終戦から70年、 ’95年1月17日の阪神淡路大震災から20年を迎えます。また、大津波を伴った’04年12月26日のスマトラ島沖大地震からは10年が経ちました。そして3月11日が「東日本大震災の日」として制定されようとしています。

痛みを抱えている人々を希望へと導き、必要な助けを与え、苦難から守り、寄り添う心でともにいるために、大人である私たちが子どもたちに今こそつなぎたいことが何であるのか、ともに考えてまいりましょう。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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