
クリスマス
「わたしは、すべての民に及ぶ大きな喜びのおとずれをあなたがたに告げる。 きょう、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。
このかたこそ主メシアである。 あなたがたは、うぶぎにくるまれて、かいばおけに寝ている乳飲み子を見るであろう。
これがしるしである」(ルカによる福音書第2章10~13節)。
12月といえばクリスマスです。本来は「キリスト教」という呼び名の元になったイエス・キリストの誕生を祝う日ですが、今や宗教に関係なく、多くの人にとって、特に子どもたちにとって、嬉しい日となっています。生前、イエスが話していた同じ内容を、弟子の仲間になっていない人が話しているのを聞いた弟子の一人が、「わたしたちと一緒に来ない人なので、やめさせました」と言ったところ、「やめさせてはいけない。あなたたちに反対しない人は味方なのだから」とおっしゃったイエスですから、こんなに世界中で、キリスト教を知らない人も祝っているのを、きっととても喜んでいらっしゃるでしょう。恵みの雨を降らせていらっしゃるに違いありません。
神様の思いは人の思いと違います。新約聖書の最初を飾るマタイによる福音書の出だしに、その思いを新たにします。福音書はイエスの系図で始まります。ユダヤ人に対して、イエスこそ預言され約束された救い主であることを証明するためです。男系の系図ですが、この中に時々女性の名が出てきます。最初に出てくるタマルは、娼婦を装って舅の子を宿しました。二人目に出てくるラハブは異邦人(ユダヤ人の常識では、異邦人は救いの対象外でした)、三人目のルツも異邦人です。四人目は、名前ではなく「ウリヤの妻」と表現されていますから、明らかにソロモンはダビデの不倫の子です。最後に出てくる女性はマリアです。マリアを除き、普通なら隠しておきたいと思うようなことを、何故わざわざ載せるのでしょうか?神様の甚大な計らい以外の何ものでもないでしょう。これらすべての人がイエス・キリストの先祖です。善人も悪人も、ユダヤ人も異邦人も、すべての人がこの系図に含まれています。誰も「私はだめだ」ということが出来ません。クリスマスは、天使が告げたように、すべての人の喜びとなる救い主の誕生です。
クリスマス、おめでとうございます。
|