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学園長挨拶
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クリスマス
 
 
  12月といえばキリスト者であるなしにかかわらず、心に浮かぶのはクリスマスでしょう。  今年、キリスト教教会の新年は11月29日に始まりました。教会の一年のサイクルはクリスマスを待つことで始まります。11月29日は「待降節第一の主日」でした。「待降節」とは、神が送ってくださる救い主、イエス・キリストがいらっしゃる(降誕)のを待つ季節です。大切な方がいらっしゃるのですから、準備して待ちます。

  イエスが誕生なさった頃、ユダヤでは時機が満ちたのが感じられ、「預言者たちが告げていたのは今頃だ」、「もういらっしゃる」と、救い主の来臨を待ち望んでいました。しかし、人々が想像していたのは、力と威光を帯びて、突然、どこから来たかわからない形で、皆の前に現れる救い主でした。若しかしたら神殿の中庭に突然降り立つのではないか?そして、ローマ帝国の属国となっているユダヤを勝利に導き、ユダヤの国が世界を制覇するようになるのだ、と期待していました。

  ところが、こういった期待に反し、救い主(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリスト)は、旅の夫婦の赤ちゃんとして、宿が満員だったので家畜小屋で、お生まれになりました。周囲の人々が守ってあげなければ生きていられない条件の中でした。誰でも、追い出される心配なく近づくことができました。天使の呼びかけを敏感に聴きとめたのは、近くの野原で羊の番をしていた羊飼いたちでした。もし、威光を帯びて神殿にお現れになったら、決して近づくことのできない社会階層の人々でした。

  立派な学者たちも来ました。「東の国の博士たち」です。彼らは駱駝をつらねて来ました。彼らはユダヤ人から見ると「異邦人」で、救いの約束は頂いていないと思われていた人々でした。

  これに反して、旧約聖書の預言をよく知っていたユダヤの学者たちは来ませんでした。自分たちの期待とは余りにもかけ離れたこの出来事は信じるに値しないと思われたのでしょう。東の国から来た学者たちに道を教えてあげましたが、自分たちは行きませんでした。

  間もなくクリスマスです。二千年前のクリスマス以来、救い主は今も人々の心の扉を叩いていらっしゃいます、多分、私たちの意表外の形で。しかし、思い込みを取り払ってしまえばよく分かる形で。聞こえたら扉を開けて、救い主を心からお迎えしましょう。